1年に1度降るか降らないかの雪。
昨日に引き続き、今朝も窓から外をのぞくと、うっすら雪が積もっていた。
夫は仕事の為に朝早く家を出る。
私は家の中を片付け、夫に食後のお茶を出す。
「保育園へ行く前には、一度近所を歩いて凍っていないか確認してから
出かけてね。道路が凍っていたら車は滑るから、無理はしないでね。」
夫はそう言い残し、
寒く凍った外の世界へ、勇ましく出かけていった。
何とも言えない幸福感が全身を包んだ。
ぎゅーっと自分自身を抱きしめる。
ずっと働き続けていた私。
"こんな寒い日に家の中にずっと居ていい"
そういう幸せもあるが、
私が包まれている幸福感はそれとは違った。
”こんな悪条件の中、家族の為に自分の身を挺して働きに行ってくれる
夫に『守られている』という女としての幸福感”
自分の中で、
”男だから、女だから”
という性別的役割にとても抵抗反応してしまう私。
”女だから家に居ていい”
”女だから無理してまで稼がなくていい”
世間でよく言われるこれらの言葉に腹が立っていた。
一生懸命抵抗していた。
ある日、私は抵抗をやめた。
受け取ることにした。
私が性別的役割を自分に『許可』したのだ。
そうしたら、夫の”男”としての勇ましさを感じる度に、
何とも言えない幸福感がこの身を包んだ。
”仕事バリバリ、男と同等に仕事がしたいのに!”
自分はそういう人間だと思っていた。
しかし、昔の私は違った。
『守ってもらいたい』
だから夫の”男らしさ”に惹かれたのに。
仕事に夢中になっていると、ついつい忘れてしまう。
本来の自分を。
仕事も楽しいけれど、
”私だって仕事してるんだから、女性としての役割を押し付けないで!”
という気持ちが出てくる。
我が家の場合、夫は家事も育児もできる人なので
夫が私に押し付けてくることはないのだが・・・
私は他者から押し付けられていると思っていたが、
実は、”自分の中にある固定概念”に押し付けられて抵抗していたのだ。
『女なのに〇〇が出来てない自分・・・』
少しずつ、自分の中にある
『性別的役割を引き受けなければいけない』
という固定概念を壊している。
やってもいいし、やらなくてもいい。
そのスタンスに立った時、私はどう過ごしたら自分は幸せなのか。
今朝実感した。
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