毎年感じるこの気持ち・・・

出会いと別れのこの時期。
私は気後れする・・・




人はなぜ、そこまで悲しがるのか・・・
悲しんでいるのか?
寂しく感じでいるのか?
そして、なぜそう思うのか・・・?

 


子どもの学校や保育園での、先生との別れ。退職、転勤。
先生との別れを惜しむ為に集まる母親達。


私には分からなかった・・・



母となるまでは、自分が主役だったその物語の中に、いくつもの出逢いと別れを刻んできた。
その中で、心から溢れる『別れの悲しさ』が無かった訳ではない。                                     だが、多くもなかった。      
                          
『別れ』に対して、私の体が、
頭ではなく、心だけで支配され、
涙が勝手に溢れ出す・・・
それには、相手への“愛着”が必要だった。
苦しみを共に乗り越えたり、喜びを分かち合ったり。想い出が必要だった。
築き上げるには、数年はかかるだろう。


一年間の付き合い。
まして、保護者である私と先生との共有時間は、どれ程であろうか。
感謝はとても感じる。
私の大切な子どもを、大切に接してくれたこと。
感謝はたくさんある。

しかし私の中には、先生に対する“愛着”が薄い。
だから、先生に集まって“もっと話したい”という感情が無い。
そもそも、“もっと話したい”と思って集まっているのかも、私の推測でしかない。


女性に多く見られる行動の中で、この部分はついていけない・・・
頭で、“やらないと失礼なんだろうなぁ・・・”
は分かるが、心が付いていかない・・・
遠くで見守る感じ。


そういう行動の時、女性達はどう感じているのだろうか?
何も考えずに行動しているのだろうか?

全く理解が出来ない・・・


私のこの部分の脳は、男性脳に近いのかもしれない。


以前の私は、ここで、
“自分には心が無いんだ。冷酷な人間なんだ・・・”と思ってた。

しかし本当に大切なことは、
『そんな自分を否定しない』
ということ。

感じる、感じない。
理解できる、理解出来ない。

それらにも、当然、正解などない。

ただ、『自分はそこの部分はそうなんだぁ。』
と知り、受け入れる。
出来ない理由をいくら考えても、意味がない。
そこには、ただ事実だけが存在しているのだから。

それが分かるまで、時間がかかった。
分からなかった時は苦しかった。
自分が悪者でしかなかったから。
分かった今は、自分がいとおしい。

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