昼食を外で食べていた時、後ろの方から
「そんなことないよ~」
という言葉が耳に入ってきた。
女性同士で食べ、おしゃべりをしているのだろう。
私はその時、その言葉に胸がざわついた。
あっ、これ、今までに感じた感情だ。
自分が今まで経験したことなんて、どれも大きなものではなかった。
母から虐待を受けていたわけでもなく、本格的ないじめにあったわけでもなく・・・
幼児期の今で言う、発達障害が無かったかと言われると疑問が残る。
あまりにも物事が理解できなかった。しかし、ひどいものでもなかっただろう。
それなりに集団行動をしていた。
だから、
もっと、もっと大変な経験をしている人は大勢いる。
自分では『死』を感じさせる程の苦しみではあったが、
物事だけを見たらたいしたことはない。
それなのにここまでの感情に陥っていたのは、
ただ自分が愚かなだけだったのだ。
あまりにも弱い人間だっただけなのだ。
これは恥じるべきことなのだ。
そう思って数年前まで生きてきた。
子供から大人へなっていく時、私は他者に自分の気持ちを理解してもらいたい衝動に幾度となく駆られた。
そして自分の体験、気持ちを他者へ話すが、いつも返ってくる言葉は、
「考えすぎだよ~」
「そんなことないよ~」
その度に、
”あぁっ、私が間違っているんだ”
悲しい気持ちになった。
一つ一つの出来事に対して、『私』が感じたこの感情は『間違っている』んだと。
今ならわかるが、私が欲しかったのはそんな言葉ではなかった。
「そう感じるんだね~」
そう言って欲しかったのだ。
きっと相手は励まそうとしてくれていたんだと、今なら想像をめぐらすことができる。
でも当時の私は追い込まれる一方だった。
しかし、ふと昨日思った。
もし、私に起こった物事の一つ一つがもっとはっきりと目に分かる大きなものだったらどうだったのだろうか?
その方が周りも分かってくれ、早い段階で専門家と出会えた可能性があったのではないだろうか?
こんなにも長い間苦しまずに済んだのではないだろうか?
”虐待経験者、いじめを受けた経験者が専門家と出会って心の傷が無くなる”
という意味ではない。
一度ついた傷は一生背負って生きていかなくてはならない。
その傷への意味づけを少しずつ変化させ、自分が受け止めていくことによって、心が少しずつ軽くなっていくだけだ。そしてたまに古傷が痛む。
私が言いたかったのは、
”こんなにも『自分』を追い込み傷つけなくて済んだのではなかっただろうか。”
ということだ。
暗いトンネルの中、右も左も分からず、ずっとさまよってた。
その暗闇中で、自分自身も闇に飲み込まれそうになる恐怖心と闘いながら、長い時間を過ごしてきた。
自分では抜け出す方法が分からなかった。
抜け出せないことへの絶望感も味わった。
ただただ、助けが来るのを待っていた。
『中途半端』というものは、結構残酷なものなんだと思った。
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