自分の中の『足りないもの』を見つけることに使う時間より、

既に『有るもの』に気付いていく為に使う時間の方が、

何十倍も価値があると思う。


自分の中に既に『有るもの』を目の前に並べ、

それを自分自身が受け入れた時、

人はとても大きな”幸福感”を手に入れることができ、

前へ進む”勇気”が腹の底から湧いてくる。


『足りない』と思って学んでいる時は、自分に甲冑を着せている時だ。

本当の自分が見えないように、攻撃されても自分を守れるように。

このサイクルは、いつまでたっても満足のいく自分にはなれない。

もっと、もっと、、、、

そうやってたくさんの甲冑を着、やがて重すぎて動けなくなる。



人は学ぶのが大好きだ。成長するのが大好きだ。

でも、そこでよく見誤るのが、


”学んでいる、成長できている自分だと安心する” 

=学んでいない、成長できていない自分はダメ


心にこんな思いがあって動いている時が多々ある。

結局は自分に×をつけ、それを回避しているだけなのだ。


魂が欲している時の感覚は、

”知りたい!”

”やってみたい!”

”やれるようになりたい!”


それしかない。

まるで子供のような。


夢中でやっていて、ある時、ふと、

”あっ、前よりも見える景色が違う。自分は成長できてる”

そう感じる。



何事も、やってもいいし、やらなくてもいい。

成長したくなければしなくてもいいし、したければすればいい。


自分から湧きあがる思いに善悪を付けず、全てに〇を付けてあげられた時、

自分の思考は魂とつながりやすくなるのではないか。


私は、そう思う。

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