子供と親

子供は、親のどんな理不尽にも耐えなければならない


どんなに納得がいかなくても、

どんなに不都合な理由を押し付けられても、

どんなに理解が出来なくても・・・


それでも、従うしか道はない・・・


子供には、それしか生きる術がないから・・・


生きるために、

涙を呑んで、感情を押し殺して、時には泣き叫び訴え・・・

それでも、また自分をなだめながら、



受け入れるしかない世界




こんな世界を、どう考えれば、どう理解すればいいのか、

大人になり、母になった自分は考えた

そして、子供達にしっかりと伝えたいと思った



人間は未完成であり、その未完成を少しでも完成体に近づけるべく、日比過ごしている



父も、母も、先生も、周りにいる大人達すべて、

『人間はいくつになっても、未完成』


未完成だからこそ、”人間”としてこの世に存在している



だから、理不尽なことを言う親も未完成な人間だから仕方がない


親子の理解不一致にはいくつか原因があるだろう


・自分には見えていない世界を、親は見ている

人は何か経験をする度に、一段ずつ階段を昇っている。そしてそこから見える景色は、階段の下にいる人には見えない。仕方のない事なのだ。だから子供の自分には見えていない世界の話をしているのかもしれない。今は分からなくても、いずれ同じ場所に立った時に分かるだろう。



・親自身がコンプレックスを抱え、必死で隠そうとしている

親も未完成。自分自身にコンプレックスを抱えているのだ。そしてそのコンプレックスを子供に知られまいと、必死に隠す。すると、言っている事とやっている事に不一致が起こる。子供は冷静にその不一致さを見ているのだ。親も、『親であらねばならない』という枠を作り、必死に生きているのだ。親子お互いに未完成さを受け入れ、本音で付き合えれば一番いいのだが・・・。



・自分の”生まれ変わり像”を子供に投影している

自分が達成できなかったこと、悔やまれたこと、なりたい姿を子供に押し付ける。その価値は親のものであり、子供にとっては無価値かもしれない。しかし、自分が今から立ち上がり、自分の課題だと認識して進むには、とてもパワーと勇気がいる。だから自分の分身である”子供”にやらせる。子供にしたらいい迷惑だ。「言う前に、お前が手本を見せてみろ」と言いたくなる現象だ。




さて、どうしてこうなっているという理解はしても、現実は変わらない

そして本当に大切なことは、ここから”どうすべきか”なんだと思う


逃げられない現実を前に、耐えなければならない期間はある

しかし、永遠ではない

10代後半、20代になれば、自分の人生は自分で選択して築いていけるのだ

そこからどう進むか

人生最初の分かれ道に立つことになる



人生の大きなポイントは、

『親の未完成を受け入れ、許す事』

だと思う

大きな課題で、そしてとても時間のかかる作業だと思うが、これがとても重要なこと


理不尽を強いてきた相手を許すには、

『自分を愛すること』、『自分を許す事』などが必要になってくる

だから、そう簡単にクリアできることではない


しかしこれができた時、

本当の意味での幸福感、満足感を感じることが出来き、

『ありのままの自分』で生きる道が開かれる





大切なことは、

『親の未完成を受け入れ、許す事』

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