友人から、私も知っている素敵なある女性が本をだしたことを聞かされた。
その時、私の中で心が少しざわついた。
あれ???
私、羨ましいと思ってる?
少し嫉妬してる?
私はその友人に、
「彼女すごいね。本だすなんて。本当にすごい人なんだね。」
と言うと、友人は、
「命がけだからね」
と言った。
その言葉を聞いた私は、とても落ち込んだ気分になった。
”命がけかぁ・・・”
「きっと、毎日子供たちにご飯をしっかり作ってあげたりする時間なんてないんだよね~?」
私は、そう、友人に問いかけた。
私が一番に思い浮かんだ光景だった。
日々忙しく、帰りも遅くて子供を預かってくれる時間ギリギリに走りながら迎えに行き、家に着いたらすぐに買ってきたご飯を温め、子供達に食べさせる。
そして自分は口にご飯を一口入れてはキッチンを片付け、洗濯物を片付ける。
数年前の、子供を2人かかえてフルタイム勤務で頑張っていた自分の生活とリンクした。
せめて晩御飯は手作りのものを食べさせてあげたいと、これだけは譲らずに早朝出勤して頑張っていた。
そんなことが頭で一瞬のうちにフル回転してからの、この問いだった。
「多分ね・・・」
友人はそう答えた。
”はぁ・・・、やっぱり・・・私には無理だ・・・”
「やっぱりここまで出来る人っていうのは、何かを犠牲にしているんだよね。家庭とか。」
私が友人に尋ねると、友人は、
「『犠牲』と感じるなら、道が違うんだと思うよ。これは彼女の使命だから、『犠牲』という感覚じゃないんだよ。」
これを聞いて私は、
「自分が『家族のために何かすること』をとても大切に思っている」
ことに、改めて気づかされた。
ついつい自己成長ばかりに目がいって、何十歩先ばかりに気を取られてしまう私。
家族のためにじっくり時間が使えている今を、しっかりと味わって過ごすことを忘れてはいけないと思った。
本題はここから。
題にもある『自分の中の無意識の固定観念に気づく』だが、
「命がけだから」
という言葉を聞いた時に、なぜ自分は落ち込んだのか。
それが気になって自分を掘り下げてみた。
私は、
「何かをしているとき、私は命がけじゃないのか???」
そう改めて考えてみた。
会社で仕事をしていたとき、
セミナーの講座内容を作っているとき、
キャリコンとして相談者の話を聞いているとき、
自分の中にある『才能』を開花させるためは・・・と考えているとき、
作曲しているとき、
私は常に自分の命を削り、自分の中から生み出していることを思い出した。
”あっ、私も命がけだ!”
なのに、なぜ気づかなかったんだろう・・・?
そう考えいったら、
私が「命がけでやっている」と聞いて思い浮かぶ姿は、
髪を振り乱して、毎日時間に追われてて、座ってコーヒー片手に味わっている余裕もなくて、
私はそれが「命がけでやっている姿」だと捉えていることに気づいた。
質より量で測ってる。
”量がなければ命がけとはいわない”
そう思っている。
私は体力が無い方だから、自然と、
『私には命がけでやることができない』
と、心のどこかで思っている自分がいることに気づいた。
だから、私はその固定観念を崩すことにした。
家族にしっかり使う時間もあり、
脳をリセットするためのボーっとする時間もあり、
命を削って生み出す時間もあり。
どれも大切な時間。
今一度、目の前のことをしっかりと見て、感じて、
一つ一つ大切に過ごしていこうと思いました。
でも、『嫉妬した気持ち』は
心の声だと思うから、
いつか、本をだす自分がいたりして^ ^。
『その時』を楽しみにして、一歩ずつ進んでいこう♪
0コメント