テレビを観ていました。
ある社会問題についての討論会。
様々な分野の人達が自分の意見を出し合う場。
そのうちに観るのが嫌になった。
相手が話し終わるのを待つこともなく、最初の部分だけの言葉を聞いて他の人が意見をかぶせてくる。
ひょっとすると、最初の時に他の人によって話をかぶせられちゃったけど、
この人はこの後に自分の感じた事(その人にとっての真実)を話したかったのかも・・・
そして、私もこの人の意見を最後まで聞きたかった・・・
そんな状況が何度も、何度も続く・・・
ある時は、
人が話している途中で相手の認識間違いを指摘し、
指摘された相手も誤解されまいと、
また必死に会話をかぶせてくる。
『自分が正解だ』
『いや、私は間違っていない!』
なんだか、そんなエネルギーが伝わってきて、しんどくなっちゃった(^ ^;。
「テレビ番組だから」ということで、こちらの知らない事情(かけられている負荷)はあるのだろうが、観ていられなくなった・・・
そこから私がふと思ったのは、
『話し合いを本当にしたいのであれば、相手が話したくなるコミュニケーション力は絶対に必要なんだな』
ということ。
よく耳にするのが、
「社内で風通しを良くしたいと思っているけど、相手が話してくれない」
という管理職の言葉。
相手というは対女性であったり、対若い世代であったり。
今回のテレビのように、「ギャーギャーなるのが見たくなくて、その土俵には行きたくない」という気持ちもあるのかもしれない。
現に、私もテレビのようにその姿勢で来られたら帰るだろう。本音も言わず。
話し合うには、絶対的に「自分のことはひとまず置いておいて、相手のことを理解したいと思う姿勢」が必要で、
人は無意識に相手からその雰囲気があるかどうかを感じ取る。
「この人、自分の意見を相手に理解してもらって、それを受け入れてもらいたいんだな~。こっちに歩み寄る気配はなさそうだな。」
人の気持ちに敏感な女性や若い世代は読み取っちゃう。
本当に良くしていきたいと思うのであれば、まずは自分の姿勢をよく見ること。
「自分はどうしたいのか?」
「自分は、自分の意見を正しいと思っているのか?」
「自分は、自分の意見を通したいのか?」
全て相手に合わせるのもまた違う。
本当に自分の魂が「絶対にこっちに行くと幸せになれる!」と感じているならば、それはしっかりと話し導く必要がある。
自分の魂が感じるという状態は、
『自己への損得勘定』や、他者から自分がどう見られているかなどの『自己への執着』が全くない状態。
なので、徹底的に自分の本音と向き合い、様々な角度から見れる視点を養う努力が必要である。
それが出来る人には、自然と人は寄っていくし、変わっていく。
人を動かすのではなく、まずは自分を動かしていくことが第1ステップなのだと思う。
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