「上から目線」とは誰の心理なのか

今朝、小3の娘と今日出されている宿題の確認を一緒にやり、

その後、下記のやりとりをした。



私「よし。私は今日は〇〇をやり遂げるぞ!」


娘「ど~でもいいことじゃん。私の方が大変。」


私「私にとっては大切よ!私にとってはその宿題の方はどうでもいい。だって、もう習ったことだもん。」


娘「私は習ってないの。なに、その上から目線。」


私「えっ、事実を言っただけだけど。」




私は何の意図も無く、ただ事実を言っただけなのに

相手は「上から目線」と捉えた。

さて、この「上から目線」と感じた感情は誰のもので、どこから発生するのか。

それらについて頭を一回転させた。




【結論】:言った相手は一切関係ない。自分自身が自分をどう捉えているかが全て。


「上から目線」と捉えるということは、

自分自身が人間関係に上下を意識しているということになる。

マウンティングを意識している。


じゃあ、どうしてマウンティングを意識してしまうのかというと、

『「自分はこれで(自分で)いいんだ」と心から思えていないから』

だと、私は思う。



私もかつては常にマウンティングを意識していた。

意識したくてするわけではなく、本能的に勝手に行うのだ。

何度手放したいと望んだことだろうか。

マウンティングは心が疲れる。

しかし、マウンティングは生存本能と強く結びついている為、自分では止められない。




マウンティングを止めようと思って止める努力をしても無理だったが、

自分を在りのまま受け入れる努力をした時に、マウンティングから解放されたのだ。


人間の心理が面白いのはこの部分で、心理は「地図を持たない町探検」のような構造をしている。


止めたい行動があった時、どうしてその行動をしてしまうのか発生源を辿っていくと、

全く別のものに辿り着くことがある。


私はその「地図を持たない町探検」が楽しくてしょうがない。

「ここ」と「ここ」って繋がっているんだ~!

「ここ」だと思って進んでみたけど、繋がってないなぁ・・・



そうやって自分の思考を使い、いっぱい思考の回路地図を作り上げてきた。



さて、話は戻すが、

「上から目線」と捉えるには、

『言った相手は一切関係ない。自分自身が自分をどう捉えているかが全て。』

と結論付けたが、

相手がいかにもな態度で「上から目線」たっぷりで言葉を発した場合、

”自分側というよりは相手側のそういう態度が原因なのでは?”

と思うかもしれない。


しかし、それは自分が相手に引っ張られてしまっただけのこと。

あくあまでも自分なのだ。


私にも経験はある。

常に「私は私でいい」と思い続けるなんて不可能なので、

ちょっと心が揺れ動いている時、相手の影響を受けやすくなる。

そういう時に相手の『マウンティングしてやる』的なものを受けると、

自分の心が『マウンティングされてたまるか!』と、自分の中にあるマウンティング意識が呼び起こされてしまう。


しかし、

しっかりと「私は私でいい」と心から思えている時に、相手がそういう態度で来たとしても、あまり気に留めない。心がキャッチしないのだ。


”あなたがそれが心地よいのであれば、それで良いんじゃない。

私は、この私のままが好きで心地が良いから、このままでいくけど。”


となるのだ。



だから心が動いた時は、今、自分が自分自身のことをどう捉えているのかを知る良い機会だと、私は思う。


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