「私」という人

最近教えてもらった性格診断で、「私」という人間の内面を上手に言語で表現してくれたサイトがあったので、そのサイトから言葉を借りることにしました。


自分の内面世界を外に出したいと願っている私。

でも、うまい言葉が見つからずに苦労してばかり(^ ^;。

言葉が上手な人の手を借りて、ちょっとずつ外に出しています^ ^。



■性格診断サイト:『16Personalities

■私の型の性格:広報運動家

■広報運動家に書かれている表現の中で、私がしっくりくる言葉。

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あなたの職業には興味はない。知りたいのは、あなたが何に憧れ、それを叶えることを夢見ているかだ。

あなたの年齢には興味はない。知りたいのは、愛や夢を手に入れるために、人生という冒険のために、馬鹿だと思われても構わないかどうかだ。

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⇒そう。年齢、性別、役職、全然どうでもいい。その人の中の「愛」と、その人の「行動」が一致しているかどうか。私が指す「愛」とは、自己防衛のための「愛」ではなく、その人の魂から出てくる「愛」であるかどうかという所にとても敏感。

「恐れの選択」の結果なのか、「愛の選択」の結果なのか。


「愛の選択」をし続けるのは、本当に勇気がいること。

丸腰の身一つで生きる覚悟。


歩いていて生卵ぶつけられようが、唾をかけられようが、

自分が「これは恐れの選択ではなく、自分の中の『愛の選択』だ。」と確信できるのであれば、行動し、堂々としている強さ。


これが私が目指す場所。


「恐れの選択」をし続けた結果、自分の魂がいっぱい傷ついた。

自分で自分の魂を傷つける以上に苦しいことはないと知った。


「恐れの選択」をすることも、「愛の選択」をすることも、

両方、苦しい。

でも「恐れの選択」には、その苦しみが消えることは一生なく、

「愛の選択」には、その苦しみを乗り越えれば苦しみ続けることはない。



私が前回書いたブログ、

【宣言】私が今世でやり抜くこと

の意味が、今日はもう少し分かった。


「歌が歌いたい」わけではなく、

歌はツール。

私にとって「歌う」とは、

「歌う」=自分の魂をさらけ出す

ということ。


私は今世で、

『自分の魂を、ありのままにさらけ出したい』

んだなぁ~と。


まぁ、こう文字にすると前から言っているのと同じような感じはするけど、

私が内面で感じていることはちょっと違う。

時が経つにつれ、より、どんどん核心の部分に近づいて行ってる感じ。

それに伴い、核心に触れる行動を自分がとっていかなければいけない衝動も生じてる。

(他人軸で「しなければいけない」ではなく、自らの魂が望んでいること。でも、意識体の本人はしぶしぶな部分もある(^ ^;。衝動が抑えきれなくて困ってるって感じ)




ということで、

私は今日、意を決して、初体験をした。

とっても怖くて、ドキドキが止まらず。

何かというと、


『車の中で、他人がいる状態で歌うこと』


そんなこと?ってビックリする人もいるかもしれないけれど、

これが、私にとってはずっと避けてきたこと。

舞台(=安全地帯)以外で他者の前で歌うこと。

死にそうだった・・・(笑)。

だって、

「歌う」=自分の魂をさらけ出す

ことだから。


舞台の上は、完全に表現世界を自由にしていい場所(私の中で)。

だから舞台に立って音楽が鳴った時点でスイッチが入る。

歌詞なんて全て忘れ、口が勝手に動き出し、

自分でも何を言ってるか分かってない。

ただ、ただ、声が思いっきり出て気持ちいいーーー!

しか感じない。


これを舞台以外で他人がいても自分の世界に浸れるようになれたら、最高に幸せ。


さぁ、ファイナルステージに突入だ。

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