「無いもの」に目を向ける心のくせ

今日実家に帰り、母と話した。


心はモヤモヤ。


自分の思いを少し伝えても、その場では受け入れてもらえなかった。


モヤモヤ・・・


しょうがない、しょうがない・・・


モヤモヤ・・・




母の中の優先順位を私一番にしてー!




ダメか・・・


モヤモヤ・・・





「私はきっと、お母さんの中の物事の1位を『私』にして欲しいなぁ・・・って思ってるのかも・・・」


ちょっと弱気だったけど、一応母に伝えてみた。


それを受けた母は、

「生きるのに必死じゃないからそう思うのよ。」

と言った。




確かに、兄の所はそんなことを考える時間もないくらい忙しい生活。

そして田舎の年を重ねた祖父母達も放っておくこともできない状態。



でも私は諦めずにまた母に伝えた。


「体や表面に見えていると、他人から見て良く分かるから助けてくれるよね。でもね、私は表面に出ていないから、他人から『そのくらい』って言われてきたけど、ずっと心がぐちゃぐちゃで、真っ黒な闇に襲われ、嫉妬に駆られそんな自分が生きている価値もないくらいに嫌いになり、『生きること』が苦しくて、何度も死にたくなった。」



「あなたのこと理解できないから・・・」

そう、母からは返ってきた。




これ以上言うのは「何か違う」って思った。




そして帰りの車の中で考えた。


私、母に手紙を書いてから、

"私の思うように動いて!"

って気持ちが強くなってた。


"私の「お母さん」なんだから、私の為に動いてよ!

私ずっと寂しかったんだから今は私の為に人生奉げるの当然でしょ!私だけを考えて!"

って。




あれ????



これって・・・

何か違う・・・



たとえ「お母さん」であっても、一人の人間として、子供が母親の人生を束縛していいわけがない。

親が子供の人生を束縛してはいけないのと同様に・・・



じゃあ、私はどうすればいいの???

どうしたら心が楽になるの????


お母さんが私の思うとおりに動いてくれたら、心が楽になるのに・・・



あっ、それはダメだ・・・



私は何でそんなに「お母さん」に求めているんだろう???





「嫌われる勇気」に書かれていた言葉が降ってきた。



『大切なのは何が与えられているか(与えられていない)ではなく、

与えられたものをどう使うかである』 byアルフレッド・アドラー



!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!




私、「無いもの(与えられている/与えられていない)」ばかりに目を向けてる!!!????

「有るもの(与えられたもの)」に目を向けずに、「無いもの」にとらわれてる!!!!

私の周りには「有るもの」たくさんあるのに・・・



この気付きは大きかった。



「無いもの」ばかりを求め続けていた私の人生。

これではいつまでたっても心は満たされないわけだ。




家に着いたら、早速、『有るもの』をリストアップした。


・私には私を受け入れてくれる夫がいる

・私には私を好きでいてくれる子供達、家族がいる

・私には・・・

・私には・・・

・私には・・・

・私には・・・

・私には・・・

・私には・・・

・私には・・・

・私には・・・

・私には・・・

  ・

  ・

  ・




心が落ち着く・・・




やっと見つけた、私の新たな心のくせの改善法。



私が母にこだわる本当の理由。



「私のお願いを受け入れてもらえるか」より、

「気軽に私が母に頼みごとをできるかどうか」


この「気軽に私が母に頼みごとをできるかどうか」が意味するところは、

私の心の中の『お母さんと私』の距離感の短さ。


私が、私の心の中で母との距離を縮めていなかった。


私はここがしたかったんだ。



これから、

今まで遠慮して母に頼めなかった事も、

母の都合は私には分からないから「まず頼む」という事をしていこうと思う。


今回、『有るものリスト』を作る時に、昔のノートを開いた。


そこには、当時の私の手で書かれた言葉があり、衝撃を受けた・・・



『「自分が理解されない」という悩みは、「自分が他人を理解していない」ということかも』

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