私はすぐに人の名前を忘れたり(というか、覚えられなかったり・・・)、
その人から聞いた個人情報も忘れてしまい、その人から聞いたのか聞かなかったのかも覚えていない事が多い。
だから一時期は人と会うのも嫌だった。
不用意に会話をして、私が覚えていない事がばれるのが嫌だった。
正確には、私が覚えていないことにより、
『この人、この前も言ったのに覚えてくれないのかしら。私の事に興味が無いのかしら』
と、相手から嫌われるのが怖かった。
会った人リストを作ったこともあった。
その人から聞いた情報、家族構成、名前等、一人一人のページを作り、書き込んでいくのだ。
そしてその人に会うことが前もって分かっていたら、もう一度読み返して頭に入れてから会うのだ。
疲れる・・・
そして、"人から嫌われても平気"になった今、
『私は他人に興味がない』
という事が有力説となっていた。
自分の内面を追及することは、とても好きだ。
でも、他人の名前、家族構成、起こった出来事・・・
すぐ忘れるという事は、興味が無いのだろう。
しかし、人の話で食い入るように聞いたり、たくさん質問したくなったりする時があるのだ。
あれ???
私は他人に興味なないのでは?
これは疑問だった。
自分でこの乖離した事実を、どう受け止めればいいのか?
自分が他人の話で興味を示した場面を振り返ってみた。
すると、共通点が見えてきたのだ。
私が興味を持つ場面は、
"その人個人が・・・"
というわけではなく、
自分の中にデータとして入っていない、
"『人類の新たな新種』に触れた時に、とてもワクワクする"
という結論に至った。
その『新種』というのも、
私は"自分がそうなら、相手も、人類の多くがそうだろう(同じであろう)"
と思う傾向があるようだ。
なので、自分とは違う価値観を聞くとビックリ、おったまげるのだ。
今まではその"違う価値観"に対し、自分を脅かす存在だと勘違いして
戦っていた。
自分に自信がなかったのだろう。
しかし、"自分"という軸が出来上がってきた今、
その"違う価値観"は、"未知との遭遇"のように、新鮮でワクワクするものへと
変わっていった。
また、自分の中に"違う価値観"を入れることにより、
更に自分を知る大切な情報へとなっているのだ。
こんな人間も世の中にいるのかー!
それが楽しくてたまらない。
しかし、何が一番楽しいのかというと、
『それにより自己を知ることができる』
からだと思う。
自己追求がなにより好きな私は、
結果、他人には興味が無い事が分かった(笑)。
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