価値観の違いを"認めるプロセス"に、生きる目的が隠されている

価値観の違い。

一緒に居て、大事な部分の話がなかなか噛み合わないなぁ・・・

そんなことを何度も繰り返してきた。


話が噛み合わない。

そりゃそうだ。

お互いに『見ているもの』が違っていた。

つまり、『自分が大切にしている部分』がお互い違っていたのだ。

これを"価値観の違い"と言うのだろう。


価値観が違うから・・・と離れるのも一つの手だが、

『価値観は違うけれど、相手の価値観を受け入れることができるだけの器の大きい人間になる』

事の方が、"生きる本当の目的"ではないだろうか、と私は考える。

相手の価値観を受け入れる為に、あーだこーだと考え、試して・・・

「でも、やっぱり受け入れられない・・・」

「自分の中の何が受け入れる邪魔をしているんだろう・・・」

いっぱいいっぱい自分と向き合って、自分の中の「なければならない」を壊して・・・


この苦しい時間こそが、最も大切な時間。

成長するには痛みが伴う。ちょうど息子や娘がたまに苦しんでいる成長痛のように。


"相手の価値観は受け入れられない!"

と鎖国するのも、その人が選んだ生き方。だから否定はしない。

しかし勇気を持って鎖国をやめ、他文化を受け入れ始めた後の世界は、とても広い。

"世界は広かったんだ・・・"

と気付くであろう。


自分の中の"譲れない部分"は自分でしっかりと認識し、そこは壊さない。

しかし変えてもいい部分の固定観念を、広い世界を見ながら絶えず壊し、再構築していく。


そんな"しなやかさを持った生き方"をしていけたらと、私は思う。

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