『自分』という人間を隠さず、ありのままに生きるようになって約半年、
私の周りには、『私』という人間が好きな人が集まってくれている。
(今まで居てくれていたのに、自分がそこに気づいていなかった人たちも含め)
そんな穏やかな日々の中にも、古傷がチクッと痛んだ瞬間があった。
あまりにも自分の心の中で、ものすごい拒絶反応が出たので、自分でもびっくりした。
私が反応する場所は、
『制限をかけられること』
誰しもが経験済みではないだろうか。
『自分の行動、言動に制限をかけられること』
産まれて人間としての人生が始まった時から、
まずは母親に、次に先生に、そして友達、先輩・・・・
他人からされこともあるし、自分も他人にやってしまう、
『自分の感覚(枠)の中に、相手を入れ込もうとする行為』
その不快さから自分は逃れたくて、
”『自分』という枠は間違っている”
という前提で他人と付き合ってきた。
だから相手が指示してくる行動に合わせ、自分を殺してきた。
でも、
『自分』には価値がある、
『自分』という人間の感覚は面白くて好き、
と腹落ちしている今、
実際に相手の枠にはめられそうになった時に、
ものすごい拒否反応が心の中で起きた。
昔だったら心がガタガタと崩れ落ち、どうしていいのか分からない状態に陥っていたが、
今は自分の思い、考えを言葉で相手に伝えることができるようになったし、心が崩れ落ちるという感覚がなくなった。
"心が崩れ落ちる"という感覚は、他人に崩されるというより、他人はキッカケでしかなく、
『自分で自分の事を信頼していない』事が明らかになるという感覚。
その当時は気づいてはいなかったが。ただただ途方に暮れる・・・という気持ち。
自分で自分を壊していたんだなぁ~と、今ならわかる。
自分で自分を壊す、心が引きちぎられるような、ものすごく不安定で行き場のない気持ちの経験をしてきた今、私は思う。
意見は好きなだけ言えばいい。ただし、『相手の言動、行動を支配したい』という思いがあったとしても、相手がそのように動いてくれるかどうかは、相手の問題。
”何で私の言うとおりにしないのよ!”という感覚があるのであれば、それは自分と他者との区別がついてない証拠。それは『支配』という世界なのだ。
『支配』という世界において、人が幸せになることはない。
なぜなら、支配している本人が幸せではないからだ。
”人を支配したくなる心”というのは、『自分の恐れ』からきているものだと思う。
まずはこういう気持ちになった時は、他者に目を向けるのではなく、
「自分は何から恐れているのだろう?」
と、自分の内面とじっくりと対面することが大切だと思う。
かつては、散々人を支配したくてたまらない私だったから、良く分かる。
そして今度は、人から言われて傷ついてしまう立場の人。
『自分を信じてあげよう』
今まで出逢った人たちの中では、自分の感覚は受け入れてもらえなかったかもしれない。
それは、”新しい感覚を創造できる人”なのだ。
人の『枠』というものは常に変化している。
”常識”がいい例だ。
今までは少数派の人達が”非常識”と言われていたものが、時代の流れで、その少数派の人達が増え多数派になった時には、今まで”非常識”と言われていたものが”常識”となる。
勝手な生き物だ(笑)。
だから、他人の感覚を自分の軸にしなくて大丈夫。
それはあくまでも他人の軸なのだから。
”軸”は人の数だけあっていい。
正しい軸、間違っている軸なんてものは存在しない。
だから自分が感じている思いや考えを、押し殺さなくても大丈夫だよ。
それはあなたにしか持っていない、大切な、大切な”軸”なんだから。
今の世界に無い感覚のものであれば、新しく作ればいいんだよ。ただ、それだけのこと。
こうやって書いていて、自分の頭の中にたたきこんでいる。
私も自分らしく生きるように生まれ変わって、まだ1歳にもなっていない。
時々、古傷がチクッと痛むんだ。
30数年かけて傷つけてきた箇所は、そう簡単には無くならない。
だから、少しずつ痛んでは癒し、痛んでは癒しで、前に進んでいくんだろうなぁ。
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