私は苦痛な経験から、『自分』というものを知ることができた。
様々なことに興味を持ち、行動力もある私は、周りからは「もっと慎重に」と
言われることも度々。
でも今は、その経験がどれほどの『宝』だったか、その価値を私は知っている。
経験をしている最中は苦しくて苦しくて、
"どうしてこんな道を選んでしまうんだ・・・"
と逃げ出したくなる。
でも、苦痛の経験から逃げずに挑戦して、何度も繰り返すと、段々と処理の仕方、扱い方が分かってくる。
苦痛を感じている時が、一番、『自分』を知る要素がぎっしり詰まっている。
"なんでこんな経験しなきゃいけないの!"
"自分は悪くないのに!"
"あの人さえいなければ・・・"
と、その物事だけを見ていては、ただの経験で終わってしまう。
大切なのは、その時に自分の感情はどこから来ているのかを探ること。
"なんで私はあの時、あの言葉で感情が高ぶったんだろう・・・?
きっと私はこういう部分に触れると感情が動くのかも・・・
その部分に何があるんだろう?過去にそこで傷ついた経験があったのか?"
"あの人の行動に腹が立つー!
私ってその行動に刺激を受けるのかも?
あれ?それって以前にも同じようなシーンがあったような・・・。
あっ!私って〇〇の行動を見ると感情が動く。なんで感情が動くの?
ひょっとして、その部分、私我慢してるのかなぁ?自分も行動してみたいのかなぁ?"
そうやって目から耳から入っている情報から、『自分』という人間を探ってきた。
『人から何と言われても譲りたくない部分』
→この部分を譲らなくても生きていける生き方を探す
『知識、環境によって作られたが、本当の自分とは違う為、そこから抜け出せずに苦しんでいる部分』
→自分の考え方、捉え方を変える訓練をする
私は、一生かけて『自分』という人間を追求していくのだろう。
だから、これからも果敢に挑戦し続けるんだろうなぁ・・・
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