私の子供時代①

あるドラマを観ていて、ふと、自分の子供時代を思い出した。

この人間社会に馴染めず、苦労した要因を多いに含んでいるエピソードだと、改めて思った。

私の基本資質は、
・興味の無い物事には、情報をシャットダウンする機能。(大事なのは自分が興味のある部分だけ)
・世の中の物事は『意味』を理解し、納得できないと受け入れられない。


そして、『これはそういうものなんだよ』と言われるような事が理解できなかった。
例えば、名称。
色を指して、『これは“あか”だよ。』と教えられ、頭の中で、
あか、あか、あか、あか、あか、あか、あか、あか、あか・・・????

“あか”って何?
なんでこの色は“あか”って呼ばれてるの?
意味が分からなくなってきた・・・・

という感じ。

これが時々あり、
“ただ意味付けをせず、覚えればいい”
ということが、経験値0の幼少期には分からず、更に“学校”というものがあるから、否応なしに追い立てらることとなり、私には“生きること”が苦痛であった。


そしてそんな私の小学1年生。
足し算/引き算を学校で習ったが、意味が理解出来ず・・・
今思うと、単純な足し算/引き算のどんな所が理解できなかったのか、今の私にも分かりません。
推測するに、興味が無かったのではないだろうか・・・。
理解出来たのは、それからしばらくしてから。ふと、天から降りてきたかのように、ひらめいたのだ。
“こういうことか❗”って。
あの時の感覚は今でも覚えている。
喉の所でずっとつかえていたものが、すっと胃に落ちる感じ。


さて、当時の母は焦った事でしょう。
小1でつまずいた❗
しかも、基本中の基本。
母は私の身近な人を使い、例題で私に足し算/引き算を教えることを思い付きました。

そこに出てきた人物が、私の幼馴染みの“ひさ君”です。

私にとって“ひさ君”とは、顔を合わせばお互いに張り合う、犬猿の仲。
どう、話を展開させていくのか・・・


母:『足し算の問題だよ。
ひさ君が飴を5個持っています。
あなたは飴を3個持っています・・・』

母は、
『ひさ君があなたに飴を2個あげました。さて、あなたはいくつ飴を持っているでしょう?』
と続けようとしました。

が・・・私が着目したのは・・・

“なんでひさ君が私より飴を多く持っているの❗ズルイ❗許せないー❗”


子供の私は、お菓子が大好き。
寝ても、お菓子については忘れない。
一番の私の興味はお菓子だったんです。


困った母は、例題を変えることにしました。
『じゃあ、あなたが飴を5個持っています。ひさ君は3個・・・』

・・・私は満足(*^^*)・・・

『そして、あなたがひさ君に飴を2個あげました・・・』

(゜ロ゜) 

Σ(゜Д゜)

!Σ( ̄□ ̄;)

『どーして私がひさ君に飴をあげないといけないのーーー❗』


私の興味は足し算/引き算では無かったんです。

更に母は、お菓子ではダメだと思い、私が興味の無い物にしようと思い付き話すと、
もう私は興味が無く、話自体が頭に入ってこず・・・(^^;。


こんな調子で小学生時代を過ごしておりました。
母は苦労したでしょう(^^;。

パーセント、何割も、大の苦手で、
これもまた母が一生懸命説明をしてくれたのですが、なぜか説明の途中で寝る私・・・
そしてそれを見て激怒する母・・・
そして泣く・・・泣くと更に眠たくなる私・・・

地獄絵図。


そんな私を母は『天真爛漫』と表現してくれました。
しかし、あれは保育園時代・・・?
小学生時代になれば、そんな悠長な事を言っている場合では無かったのでしょう(^^;。


担任の先生から、
『あなたの頭上には、違う世界が広がってるね』
『あなたにとって、通知票は紙切れ同然だね』
と言われたことも・・・


それでも何とか大人になり、
『大人にならないと』と、肩肘張ってた頃もあったけど、
今は『天真爛漫』な自分が、一番好き(*^^*)。
子供達と同等に張り合って、甘え合って、笑い合って。

小4の息子が、
『ママ、凄いよ~これ見て~』と、
8点の漢字テストを見せてくれた時には大爆笑❗

私:『これ、何点満点のテストなの?』
息子:『100点』
私:『マジか❗テレビの漫画でしか見た事無い❗』


私の興味は、息子が何点を取ったかではなく、それをどう受け止めて、どう行動していくのか。
『こういう行動をしていきなさい』
というのは、私の中には全く無い。
どうするかは彼の問題だからだ。

ただ知りたいだけ。
“この子は物事をどう捉え、どう感じ、どうしていきたいと思っているのか”


私は時々、“それ”が世の中の全てだと感じる時がある。

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