この世には様々な『愛の形』がある。
三角形、四角形、円形、・・・
一人一人、『愛の形』が違う。
子供の時に遊んだ”型はめ”のようなものを一人一人が持っている。
三角形の『愛の形』を持っている人が、三角形の形で”愛”を投げる。
でも、相手は四角形の型しか持っていない・・・
だから受け取れない・・・
”愛”の発信なのに、受け取ってもらえない。
悲しくなる・・・
悲しみが怒りに変わる・・・
受け手も、自分の四角形の型に、ぐいぐい三角形を押し込まれる。
痛いよ、痛いよ・・・
何と言う人だ!
私に苦痛を与えて!
こうやって人はすれ違っていくんだと思う。
夫婦関係、友達関係、親子関係、職場の人間関係、上下関係・・・
私も一時期は夫とすれ違っていたことがあった。
私が夫の体を気遣い、良かれと思って”体にいい食事”を無理やり食べさせようとしていた。
それが私の『愛の形』だったのだ。
しかし夫は全く喜ばず、「自分の好きな味で自分がおいしいと思う料理を出して欲しい」と主張してきた。
私は悲しかった。
料理を考える時から夫の顔を思い浮かべてやっているのに、その気持ちが全然伝わらない・・・
こんな状況が数年続いた。
苦しかった。
しかし、ある時に思った。
”夫に合わせてみよう”
『愛の形』を、自分の形ではなく、相手の形に変えて渡してみることにした。
それから少しずつ関係は良くなり、夫から「今日のご飯おいしい」という言葉をもらい、私は嬉しくてたまらなかった。
そこで私は『愛の形』の違いに気づいた。
中には、”愛”からの発信ではなく、”恐れ”からくる発信も多い。
”こうしてくれないと、私がきちんと教えてないって周りから思われるじゃない。”
親子関係、職場の人間関係に多いのではないだろうか。
”恐れ”からの発信は、ほとんど、
【周囲の目を気にしている】
【自分のコンプレックスを隠したい】
という感情から現れるのではないだろうか。
これは”愛”とはかけ離れているので、受け手側になった場合には受け流せばいい。
(親子関係の場合、子供は受け流す事がしにくい状況なので悲惨だが・・・。)
発信側はその”恐れ”の根本原因を探り、そこを解決していけば問題はいずれなくなる。
純粋に”愛”から発信されるものについても、
昔の私たち夫婦のようにすれ違ってしまうことがある。
しかし、人は”気づき”に触れる度に、自分には違う『愛の形』があることに驚かされる。
今までは自分の上面しか見ていなかったから、三角形の型しか知らなかったが、
下面の自分に気づく。
下面には四角形の型があった。
こうして、一つ一つずつ、様々な『愛の形』を発信し、受け取れるようになっていく。
しかし、”気づき”は自ら求めていかなければ、触れることはできない。
ここに気づけるまでは、同じ状況をいつまでも繰り返すしかないのだ。
いつか、大きな”気づき”に触れた時、自分の中に円形の型を見つける。
とても大きな円形。
その円形を自分がきちんと認識できたとき、様々な『愛の形』がそこに入ってくるようになる。
とても大きな円形だから、どんな形でも受け取る事が出来る。
【目の前の物事に囚われるのではなく、相手はどういう”愛”を持って発信しているのか】
そこに目を向ける事が出来るようになる。
また、その円形は大きいが為に、要らないゴミまでも入ってくるので覚悟が必要だ。
その時には、”受け取る” ”受け流す” 作業を忘れずに。
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