私がワクチン接種を受けようと決めた理由

もし、

私の夫がワクチン接種をしたくない人であったなら、

私は接種はしなかっただろう。




私自身、薬はほとんど飲まず、

寝て直す。

インフルエンザも。



正直、あまり体を色々いじくりたくはない。


体に関しては、

自然主義を採用しているからそう思うのではない。


だた、「訳が分からなくなる」のが嫌なだけだ。



私にとっては、

この地球生活自体が「訳が分からくて疲れるもの」であり、

これ以上、物事を複雑にしたくないと思う。

頭が疲れてしまうのだ。



全てはバランス。

一つ何かを取り除くと、

波紋のようにゆっくりと広範囲に影響を与える。




体は小宇宙。

意識で体も変えられる。

それほどに複雑極まりない。

行き過ぎた西洋医学にも限界を感じている。

そうなった場合、誰を頼ればいいのか。


そう考え抜いた末、

私は、自身の判断にゆだねることとした。


「死」のお迎えが来た時には、

私自身は喜んで受けたいと思う。

(家族との関係もあるので、そこがスムーズにはいかない点だとは思うが。それもまた、この肉体世界の地球でしか味わえないことなのだろうが。)




そんな私も、先日、ワクチン第1回目を接種してきた。




接種券が届いたころは、

「もっと確実な情報が揃ってから」と思っていた。


そして接種する人が増え、

ついには、夫が会社で接種することとなった。

私は内心、嫌だなと思っていただが、

夫に、夫の気持ちを聞いた。


夫は、

「仕事で様々な人と接するから、感染の不安はあった。ワクチンを接種して重症化が防げるなら打ちたいと思う。」

と言っていた。



私は、何もない事を祈るしかできなかった。

それと同時に、

夫の会社は人数が多いので、そこである程度「生の情報」が得られるのではないかとも思った。




夫は2回接種を完了した。



夫の周りから、嫌な情報が入ってくることはなかった。


短期的な影響に関しては、私の中ではある程度クリアになったが、

懸念事項はまだある。それは、

「長期的な視点でみるとどうなるか」

だ。



こればかりは、いくら考えても答えが分かるはずもなかった。



それから私自身に差し迫る事態も無く、

「ワクチン接種」について考えない日々が続いた。



世の中は第5波へ。

東京での自宅待機中の死亡報道が続く中、

私は一つのニュースを目にし、衝撃を受けた。


家族4人が感染し、全員自宅待機中だったが、

翌日、母親だけが亡くなっていたのを家族が気づいた。



うちの家族構成と被り、想像してしまった。

私はいいとしよう。


私の死生観では、

『死』は「修行の終了」を意味し、「解放」であり、

お迎えが来るまでが一生懸命生きないといけないので、しんどいが、

「死」は終了を告げてくれる。

辛いことでも、悲しいことでもない。



ここで想像したのが、残された方の気持ちだった。

子供達はそれを抱えて生きていかないといけない。

夫は・・・・




心の奥底にグッとくるものがあった。



愛する家族を持つということは、

自身の死生観を貫くこととの折り合いについても、また修行の場となる。



その時に私は、

「そろそろ打ち時なのか・・・」

と自分の心に問いかけた。


”あなたはどう思う?この不確実な世界の中、あなたの感覚だけが頼りなの”



その時に、私は「打とうかな」と思った。

それを夫に話した。





私が夫に「ワクチンを打とうと思ったんだ」と口にしたその瞬間、

夫からは安堵の空気が溢れ出た。

私はその夫が発した空気感が忘れられなかった。



直ぐに夫は一番早く打てる日程を探し始めた。

しかし、第2回の接種の日程が仕事との兼ね合いで確保できなかった。

また、中3の息子も体育祭があり、難しかった。

よって、もう少し待つことになった。




そうこうしていると、

今度は私が、いつもの定期的に来る「頭痛」と闘うことに。

意識して頭を空っぽにする時間を作ったり、心を整えることを意識したりと、

色々試みてはいるが、なんせ、そうすることにより、「感度」自体が上がるので、

その分、普段の情報量も多くなってきてしまう。

これは、共に生きるしかないなと、最近は感じている。

閉じれば楽になるけれど、今度は出すことができなくなる。

私流「自分らしく生きる」生き方には、この頭痛もセットなのだと、受け入れることにしよう。




話しを戻すと、

その頭痛のおかげで、私の「ワクチン接種」は意気消沈に。

この頭痛はしんどく、2日は動けない。

吐き気が出る時もあり、ひたすら寝るしかできない。



久しぶりの体調不良に、

ワクチン打って熱出るとか、ありえない!

何で、こんなしんどい思いを、わざわざ自分から作り出さないといけなんだ!

絶対に嫌だーーー!



と、接種して熱が出ることへの恐怖が湧き上がってきてしまった。




そして、また夫にしばらく打ちたくないことを告げた。

夫は、

「大丈夫。何かあっても、俺がいるから。あ、、、耐えるのは俺じゃないか・・・」





少しして、新しいワクチン接種日の日程が出ると、

夫は息子の日程調整を行っており、予約を取ろうとしていた。

私はその姿を見て、戸惑った。

きっと、私にも打って欲しいと思ってるよね。。。

覚悟できるかなぁ・・・。

数秒考えたのち、私も一緒に予約をしてもらうことにした。

日程が確定した。

ついに、本当に打つことになったなぁ・・・。




その日から、

私はもう一度、自分の中での問題を整理していくこととした。





不安は色々ある。

でも、私にとって何が一番大切なのか。。。





そう考えていると、

過去にも同じ状況があった事を思い出した。

約10年前、私が

「『食』に熱心になった時期」だ。



私は家族の体、特に夫の体を心配し、

「より良く」を目指したのが最初だった。

しかし、

あまりにも私は世間のことが分からず、

自分という人間の取り扱い方も分からず、

ブレすぎていた。

そして結果、のめり込み、

家庭崩壊ギリギリまで追い込んでいってしまった。




当時の感情、光景が私の中に今でも刻まれいる。

それを今回、ワクチン接種を題材に思い出された。






ーー【約10年前】ーー

夫婦でお互いに、自分の主張を言い合っている中で、

私はお互いの感情のラインが見えてしまい、絶望した。


「お互い一色線にラインが引かれている。曲がることのないこのラインは、この先交わることは無い。」




そして、苦しんだ感情があった。


お互い相手が「大好き」で、「一緒に居たい」と思い合っているのは、

確実に分かる。

でも、二人とも一直線過ぎて、交わることは無いのだ。


私は当時、心の中でずっと叫んでた。

「こんなに大好きで、一緒に居たいって、私も思ってるし、あなたも絶対に思っているのが伝わってくる。それなのに、何で『分かれる』という選択肢しかないの!!!!!」



悲しすぎて、苦しかった。

でも、譲れなかった。

だって、私は「あなたのため」を想って、やってるのに・・・。


あなたが曲げてくれれば・・・

お互いがきっと、そう思ってた。





本当にあと数ヶ月この状態だったら、私達夫婦は、どうなっていたか分からない。


しかし、私はそこで「相手に添ってみる=自分を曲げる」という修行をすることとなった。



この「食にはまる」という経験はとても貴重で、様々なことを手にした。


その中で最も大きなものが、

「私にとって、『自分のやりたいこと・主張』が一番ではなく、夫の笑顔が一番」

ということが分かったこと。



その時は「自分がやりたいこと」がやれる、「主張が通る」ことが、

自分にとって一番の幸せだと思ってた。

しかし私が突っ走る程に、見事に夫から笑顔が無くなっていった。

やりたいことをやれているのに、なぜか寂しい・・・。




この体験があったからこそ、たくさん自分の中に指針が出来き、

「人間の心理」がわかるようになり、

「宇宙の法則」がわかるようになり、

今の基礎知識の全てがそこにあった。


ギリギリラインまでいってみないと、手に入れれないもの、見えないものがあることもわかった。

私は極端だから、緩急が激しすぎて周りがついて来れないことが多かったが、

だからこそ、ギリギリを知れるから、手に入れれるものも大きいのだと、のちに理解した。







私はこの「ワクチン接種」を通して、

過去の体験を思い出し、気持ちを整理した。



私は、自分の命を、

「夫が笑顔で暮らせるように」使っていきたい。

いっぱい、やりたいことや、叶えたいことは湧いてくるけれど、

冷静に考えた時、

叶えた所で、隣に夫がいないことを想像したら、ゾッとする。

その時に、私の一番の望みがやっぱり分かってしまう。




だから今回、「ワクチン接種」について、

夫を軸に考えたら、スッと答えが出てきた。



夫は、

「ワクチン=重症化を防ぐ」という認識でいる。

私たち家族が、もしコロナになった時、重症化にはならないで欲しいと夫は願うだろう。

そして、もし重症化し家族が亡くなった時、

夫は、ひどく、自分をなじるように後悔すると思う。

「無理矢理にでも連れて行ってワクチンを打たせておけばよかった」って。

夫はそういう人だから。



私と息子のワクチン接種予約が完了すると、ホッとしていたね。

夫は、私が自ら打つと決めるまで強要せずに我慢してくれていた。

私は、人から強要されることが嫌いな性格を理解していたのだと思う。

不安に感じていたかな。

私は、夫から少しでも不安な気持ちを取り除いてあげたい。

今まで、いっぱい不安な思いをさせてしまったから。


もしワクチンを打って何か起こった時や、打ったけどコロナで死んでしまった時は、

もうしょうがない。って思える。

夫も、「やるだけのことはやった」って振り切りやすくなると思う。

「まだやれることがあるのに、やらずに・・・」っていうのが、

彼は一番堪えるんじゃないかな。


私たち家族は、運命共同体。


どんな情報が来ても大丈夫。

受け入れれる。


私は生き延びるためにワクチンを打つわけではなく、

「大切な夫の気持ちに寄り添う」が、今世で最も大切にしたいことだから。



それが、

私がワクチン接種を受けようと決めた理由。


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