私はいつも他者と「己」を比較する。
そのせいで心理的負担が多く、ボロボロによくなる。
私は「何のために」人と比較をしたいのか?
20代までは意味が分からず、ボロボロになるだけの日々だった。
30代はそこからの脱却で、
「自分を諦め認める」
「そんな自分を愛おしいと感じることへの許可を出す」
「人と自分との境界線を作る」
等を実行した。
40代に入り、ある程度の精神発達は遂げたが、
やはり、「相手と自分との違い」にアンテナを立てている。
そこで最近起きた様々な現象から気づいたのが、
私は、自己追及するすることで「人間」の心理構造を「体感からの知」として得たい。
と思っていること。
人間の心理的分野を知りたいのであれば、学ぶには様々な方法が既にある。
心理学楽しそう!知りたい!
って飛びついてみたものの、私は門を目の前にすると興味を失ってしまう。
う・・・ん・・・・やめておこう・・・
そんなことが今までに何度もあった。
でも、「人間の心理」にはすっごく興味がそそられる。
私は門を開けて入っていく勇気がない人間なのかも。
私はその分野を深掘りしていく自信がないのかも。
そうやって考えたりもした。
だが、実はそうではないのでは?と、昨日感じた。
私は、人間の心理構造を、「知識」として知りたいのでなく、
「体感」として知りたいのだと。
そして、人間の心理構造だけではなく、地球のもの全てを本当は体感知したいと思っているのだと。
精神的なものは、
人間に生まれた以上、どうやっても「人間」のことしか体感できない。
だから、人間の心理構造に興味があるだけのこと。
そして物質的なものとしては、
子供の時の体験を思い出した。
母が「このやかんは熱いから触ったらダメだからね」と言ってその場を離れると、私は必ず触っていた。(そして怒られるのだが)
私は「熱い」を体感したかったのだ。
これらの体感知を使って、
私は『現実を変えること』をやりたい
と強く願っている。
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