「具体」と「抽象」の関係性から、自分の心のモヤモヤの正体が判明

まず私は、現実問題として壁にぶち当たらなければ学習意欲が湧かない。

最近は自分のスキルの限界を感じ、どうしたら打破できるのか、あがいている。


ある日、仕事中に投げられた『言葉』が心に引っかかった。




「もっと抽象化した表現で書いて」




?????ー抽象化ー?????





抽象化と聞くと「意味が分からないもの」と反応してしまい、敬遠したくなる感覚を覚える。


しかし、現実問題として突きつけられたので、意味を理解せねばと思いネット検索を行った。


なるほど、なるほど。。。


『抽象化』という言語が、ちょっと自分に近づいた感じがした。



色々調べていると、一つの本と出逢った。

早速購入。




「具体⇔抽象」トレーニング

著者:細谷 功




まだ最初の方しか読めていないが、

自分の心の中で巻き起こっていたモヤモヤが、これによって起こっていることがうっすらと判明してきた!



何が起きているかというと、

私の心の中には様々な情報が点在しており、体系立っていない。




リビングに棚が一つもなく、地面にたくさんのものが乱雑に置かれているような感じ。

なので、

必要な時に必要なものが取り出せなかったり、

数日して探し物がやっと見つかる、でも、もう今は必要なくなった、

などのような事がよくあり、心はモヤモヤ。。。


色々な経験を経て、「棚がこの世に存在する」ということには少し前から気付き始めていたが、

その棚は一体どこで購入するのか?

どんな種類があるのか?

等、さっぱり情報が掴めずに途方に暮れていた。



しかしこの本を読んだ時、「棚」を発見した!




思考には「具体」と「抽象」というものが存在し、

それが縦構造で構成されている。

(この書では縦構造で表現されている)


私は、いつもこの具体⇔抽象の階層がぐちゃぐちゃだから混乱しているんだ。

「具体」の階層で思考を動かしていたと思ったら、

突然「抽象」の階層に飛んでしまうので、

思考の収集がつかなくなり、

「結局、どうすりゃいいんだ・・・」と途方に暮れて終わる。

私の特性上、「具体」も「抽象」も、「超具体」「超抽象」へと幅が広がりすぎてしまう。



例えば、「超具体」でいうと、最近体験した高速道路工事。

(その記事はこちら→【地球上全てのものを体感したい】)

中央分離帯が動くところや、動かした後の地面の様子など、目で見ないと納得できるイメージが作れないので、思考が先に進まなくなる。



一方、「超抽象」というと、

人間を『地球上の生き物の一種』と捉えたりもするので、

「人の幸せとは?」と聞かれても、

それを聞く意図や、それを問うて何を得たいのかという部分をキャッチできないと、


今世での経験から感じたものを言えばいいのか、

「日本人」としての視点から言えばいいのか、

「地球人」としての視点から言えばいいのか、

「魂」としての視点から言えばいいのか、

全く分からなくなる。

視点が違えば、大きく回答が違ってくるからだ。






一緒に仕事をしている仲間から、私への仕事の渡し方で気を付けていることを聞かせてもらったが、その意味が今回良く分かった。


「あなたには思考の枠が無いから、どこまででも行けてしまう。なので、あなたに仕事をお願いする時は『この枠の範囲内で、目的は〇〇だよ。それを踏まえて自由に思考して』と「枠」と「目的」を伝えるようにしているよ。でも、それ以上に条件を色々つけると、これまた思考が停止してしまうので、自由度が高いものでないといけない」



私のことをよく分かってくれる仲間と仕事ができることに、

感謝しかない。

改めて、仲間に感謝を伝えたいと思う。





さて話を戻すと、

こんな事が私の頭の中でよく起こっていた。

今回のことで、

自分の思考世界の構成がより分かったのと、

「棚」をゲットしたことで、

「今自分はどの階層で思考をしているのか」

「この目的であれば、もっと上の階層で思考した方が整理しやすいな」

など、

自分の思考を棚に並べながら客観的に見たり、並べ替えたり、

もっと自由に操れるようになるのでは?!

そうしたら、もーっと、もーっとスッキリしてくるんじゃないの!!!

と、ワクワクがとまらなくなった。


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