「他人に迷惑をかけない」子育て

私が母親になり、ママたちの間でよく耳にする言葉。

「他人に迷惑だけはかけない子になってほしい・・・」


私にはその感覚が無い・・・


”他人の迷惑・・・”

????????


殺人、強盗、恐喝、・・・

これは人間として、”してはいけない事”。

だから『他人に迷惑かける』とは違う。


”公共のマナーを守る”

これは大切なことだと思う。

しかし、中身をよく検討する必要があるものもある。

他人の”目”を気にして作られているマナー。それは違うと、私は思う。



さて、

よくママさん達が言っている『他人に迷惑をかけないように・・・』って行為は、

もっともっと細かくてたくさんの行為を指している。

本当に日常の日々起こり得るささいなこと。


私は思う。

”他人に迷惑をかけない”って、生きている限り無理だと思う。

自分の常識は、誰かの非常識。

人に迷惑をかけながら生きている。だからこそ、感謝の「ありがとう」が存在する。

それでいいと思う。

そして私自身、『迷惑』と思うことがほとんどない。

全ての行為には、行動した人の理由(=愛)があり、受け手の『快』、『不快』の感覚は一人一人違う。

私は、ママたちがよく言う『迷惑をかけるから・・・』という行為が好きだったりもする。

自分の”迷惑”は、他社の”喜び”だったりすることだってあるのだ。


だから、私はのびのび子育てをする。

自分基準で。

その中で、相手が『不快』であったとしたなら、謝ればいい。

しかし、相手が『不快』と発信してくれなければ、気づかないであろうが。


よく子供の頃、周囲の大人達から「相手の気持ちを察するように」と言われ、結果、人目ばかりを気にする大人になった。

しかし息苦しかった。

「相手の気持ちを察する」と言っても、所詮、自分の価値観の中でしか判断できていないのに。相手が本当に同じように思っているとは限らないのに。いや、外れている場合の方が多いのではないか。

そこに何の価値があるのか、私には分からない。


自分の気持ちを外に言えなくてもいい。

だが、「私の気持ちもわかってよ!」「察してよ」と、いうのはおかしな話だ。

分かって欲しかったら発信しないといけない。

人間は自分以外の人の感情、感覚は分からないのだから。

言わないのなら、分かってもらえないのは当たり前だと受け入れればいい。

何かを選択するなら、何かを受け入れる必要がある。

物事には、必ずプラスとマイナス面が存在するからだ。


どれを選択するかは一人一人自由でいい。



さて、話を戻すと、

母親達は「他人への迷惑行為」を気にかけて日々子育てをしている。

疲れることだろう。


女性というのは、人類が誕生した原始時代の頃から、集団の中で生活をしてきた。

その名残が遺伝子に刻まれているかの如く、絶えず、他人の目を気にしながら、自分の行動に落とし込んでいく傾向が強いのではないだろうか。


そして世間感覚では(特にメディア発信)、『子供の行為=母親のしつけ』という結び付けが強いように感じる。

まだ自分が子供だった頃、テレビや周囲の大人から耳にする『子供の行為=母親のしつけ』の発言が、知らず知らずに自分の心に刻まれていったように思える。

そして自分が母親になった時、その頃耳にした言葉たちが蘇ってくる。


元々男性より強く持っている『他人からの目を気にする』という感覚に加え、

今まで刻まれてきた数々の周囲の言葉により、子育ては、より深刻に、慎重になっていくのであろう。


私もかつて殻を脱ぎ捨てる前は悩んだ。

上記のような『他人に迷惑をかけないように・・・』という事に悩んだのではなく、

『他人に迷惑をかけないようにって何???それをしないといけないの?それができない自分って母親失格?』

と悩んだ。

今は

『周囲と足並みをそろえることをしない生き方が好きで、そんな自分が好き』

な、本来の自分の資質に近い感覚に戻れた私は、

”大人も子供も、一人一人のとんがった所をもっと、もっと、どこまでもとんがれるように

みんなが生きていけたら楽しいだろうなぁ~”と想い、子育て、自分育てをしている。


ママ達がもっと気楽に、のびのび子育てができたら、どんな国になっていくんだろう~。

なんだか、楽しそう(笑)。

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