『母』という存在

先日、夫の一言で、私は解放された。



また毎回のように繰り返す、

『知らず知らずのうちに頑張っている自分』

からの解放。


本当に気づかないんだよね・・・

でも、「何かを提供しないと」って、あれもこれもと自分の中に入れようとしてしまって自分の中でぐちゃぐちゃになって混乱がおき、ブレる・・・


全て解放された時に残るもの。

それは、

妻としての自分

母としての自分


たくさんの時間をもらって、ちょこちょこ好きな事をして、

そして自分が本当に一番やりたいことをする。


今の私が一番やりたいこと。

それは

『家族の為に時間を使うこと』


本当かな?本当かな?


まだ確信にまで至っていないから、何度も繰り返すんだろうな(笑)。


外で活躍している人を見れば、自分もそれになりたくなる。

そして家族の為の時間が嫌になり、家事を放棄したくなる。


家事を少し放棄し、外で頑張ってみるけど、なぜか上手く回らない・・・

あれっ?あれっ?どうして?


そしてまたブレて、何かのきっかけで全て手放す。

すると残るのは

妻としての自分

母としての自分


そこだけを考えてのんびり毎日を過ごすと、心が満たされてくる・・・


あれっ?あれっ?私の幸せ、ここなのか?



短大を卒業してからずっと働き続けた。

結婚、出産しても。

その間、私はいっつも『食事』にこだわっていた。

手が抜けない・・・

みんなどうやってこの生活続けているの?

そう思って同じように働いているママに聞いてみると、みんな同じことを言う。

「手抜きだよ~。ろくなもの作ってないよ」

手抜き?ろくなもの???

よく理解できない。何が手抜きで、何がろくなものなのか?


ある時、「ご飯はほとんど作らないよ。買ってくるの。」という言葉を聞き、心底驚いた。

自分に置き換えて想像してみたが、恐ろしかった。罪悪感にまみれる・・・

なんで自分には割り切って出来ないんだろう・・・


そう思いながらも、作ることを減らして、買うことを実践した時もあった。

しかし、心が苦しい。嬉しくない。

働きながらだったから、楽(らく)になる嬉しさはあるが、なんか心の喜びとは違う。





家族の事を考えながら、ゆっくり食事を作る余裕がある今、朝ごはんもみんなに用意する日々。

(とはいっても、晩御飯の残り物と、おにぎりを作って出すくらいだが(^ ^;))

なんだか幸せ~。普通に幸せ~。


あぁ、私が晩御飯を買うことに罪悪感を感じてしまうのは、私がしてあげたかったからなんだ・・・

してあげたいけど、してあげられない自分が嫌だったんだ・・・


今の私にとって、家族に手料理を出すことが、私の家族への愛の表現なんだ・・・

嫌だと思ってたのに・・・めんどくさいと思ってたのに・・・

してあげたかったんだ・・・私。




そして最近、夜中に子供に起こされることが多い。

娘からは、

「ママ・・・おしっこでちゃった・・・」

「成長痛で足が痛いよ・・・」


そして先日、息子が、

「ママ、お腹痛い・・・トイレついてきて・・・」

そう言われて真夜中にトイレにつきあう。

トイレの中から、

「ママ、ごめんね」

その言葉を聞き、私は思い出したことがあった。

私もよく子供の頃、夜中にお腹が痛くなって母を起こしに行ってトイレに付き合ってもらっていた。

母は一度も文句を言わなかった。いつも付き合ってくれた。


今、私がそれをしている。


ゆっくり子供に夜中も付き合ってあげられるだけの余裕が、今の自分にはある。

「大丈夫だよ。お腹痛くなくなるまで、ゆっくりトイレしていいよ」

そんな言葉を息子に返し、私は満たされた。



あぁ、私、自分の母が私にしてくれたことを、子供達や家族にしてあげたいんだ。


母は私や家族にたくさんの時間を使ってくれていた。

そんな姿を見て、私は知らず知らずのうちに、同じことをしてあげたいと思っていたんだ・・・

そこに戻るのね・・・。

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