「自信」の付け方には順番がある

私は、

「存在していてごめんなさい」

そう意識からスタートしていた。



なので、自己肯定感メチャメチャ低くて、

自信なんてあるわけがない。




そんな世界の中でずっと生きてきた。

底なし沼の中にいるようで、苦しかった。





そこから抜け出すために、色々と改造を行ってきた。

(私のプロフィールから辿ってもらうと分かりやすいかも。

ブログには変化の様子を刻々と書き連ねてきました。

そして、久しぶりに、昔作った曲を思い出しました(^ ^;。)

凛貴-りんき‐ 音楽活動サイト










私にとっての自信の定義は、


自信=ありのままの私で社会の中で過ごすことができる


ということだった。




自己改造をある程度やり終え、まずは

「ありのままの自分」が出せる、

「ありのままの自分」の状態である程度過ごせる

というところまできた時に、


『仕事仲間からの良いフィードバック』


が大きかった。




「カバちゃんに〇〇をやってもらえると安心して任せられる」

「カバちゃんが作った報告書は見やすい」

「カバちゃんがいる空気はホッとする」


などなど。

自分では知らなかった自分の才能を、仲間からいっぱい教えてもらった。


ここで強く言いたいのは、

自分の才能は、決して自分じゃわからないこと。

自分には当たり前すぎてピンとこない部分程、持ち合わせた才能に近いこと。





こうして、少しずつ、自分にはピンとこないけれど、そうなんだと自覚をするようになり、

” 自分にも、何かちゃんとあるんだ!”

という意識が目を出し始めた。





しばらくこうやって安心した仲間の中で育ませてもらった後、

外界と接触していく段階に入った。


ここではキャリアコンサルタントとしてカウンセリングを行うことで、

私が経験してきたこと、感じたこと、やってきたこと、

私の内側の世界を、そのまま相手に渡すだけで目の前の人が元気になっていく姿をたくさん見させてもらうことができ、


” 私から出てくるものはダメなもの ”


長年私自身を苦しめていたその感覚から徐々に解放されていくのを感じた。



勇気をもって、

「ありのままの自分」の姿で仲間以外の人と向き合い、

そしてそれが誰かの勇気になったのを目にした時、


” 「自分」は大丈夫 "


それを手に入れた。






しかし、その段階で過ごしていても、

まだ物足らなかった。





そして社会保険労務士資格取得の話が舞い込んだ。





試験が終わった後、何とも言えない、大きなどっしりとした「自信」を感じた。



今までは周りの反応から形成される「自信」。

時に反応が良くない時にはとても落ち込む。

そんな不安定感はぬぐえなかった。




だが、試験が終わった後、

勉強を始める前には無かった、どっしりとした「腹の座り」を感じた。



これは何なんだろう?と自分の中を探っていくと、

” 諦めずにやり続けられた自分、やれた自分 ”

が影響していることが分かった。



人らの賞賛もうれしいのだけれど、

一つ前の段階ではそれを頼りに、

相手から嬉しい言葉をもらえたシチュエーションを何度も思い出して、

自分に刷り込んで明日の元気に変えていたが、

次の段階は、自分との闘いなんだと知った。



今までもずっと自分と闘ってきたけれど、

またちょっと違う戦い。


「落ち込んでも希望を持ち続け、嘆かず、目の前のことに意識を集中させてやり続ける力」



これに挑戦し、まずは2年勉強し受験できたことは本当に大きかった。






「自信をつける」

これにも段階があるんだということを、

ここまできて、分かるようになった経験だった。

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