今朝、ある雑誌でドイツの働き方の話を読んだ。
そこから私の頭は、
『どんなルールだと人は生き生きと動くのか』
についてフル回転し始めた。
そして書き出したものが写真のような図となった。
私はこのテーマをどうしても考えてしまう。
それはきっと、私が以前いた会社で、
会社が良くなっていく為にある『ルール』のはずが、なぜかどんどん社員をダメにしている感覚を味わったからだと思う。
その為に、
本当に会社がよくなる(=社員が生き生きとする)『ルールの在り方』は何だろう?
と考えるようになったのだと思う。
なぜかうまく社内が回っていないと感じる原因の一つとして、
『能動的社員達』
があるのではないだろうか。
自ら『仕事の目的』を明確にし、
”そこへ行く為にはどうしたらいいのか”
を日々考えている社員は、果たして何割いるのだろう。
元々能動的に入ってきた人もいるだろうが、
多くの場合は自主的→能動的に変わらざろう得なかった人達が多いのではないだろうか?
新入社員時のあの目の輝きが物語っているのではないだろうか。
自主的→能動的になってしまう原因は全て上司(管理職)にあると言っても言い過ぎではないと思う。
彼ら彼女らを作り出した認識はしっかりと持ち、これからの時代の変化に自らも対応させていく覚悟が必要だと、私は思う。
(親子関係も同様の事が言える)
さて、話を戻すと、
受動的社員が多い職場で起こりがちなのが、ルールを決めたが故に、長期的にみると更なる幼稚な問題が次から次へと発生してしまうことではないだろうか。
今の私が感じるルール作りのポイントは、
『ルールの内容』と『決め方』
です。
そして私が特に肌で感じていたこととして2つ。
①ルールが多いと注意しきれなくなり、意識化されにくい
②他者が決めた細かいルールを守っていくうちに、自らの思考は停止させるようになる
(考えなくなる)
まずは『①ルールが多いと注意しきれなくなり、意識化されにくい』について考えていこうと思う。
”指示が細かくないと間違った動きをする、伝わらないだろう”
ということで、行動の仕方まで決められた細かいルールを社内で作ってはいないだろうか?
前職場では細かい行動ルールがたくさんありました。
細かいルールだと、一つだけではカバーできないのでそれに付随した更なるルールが
どんどん作られます。
しまいには何十個というルールが出来てきます。
米国ハーバード大学の ジョージ・ミラー博士は、
『人は一度に記憶できる数は制限があり、平均7個(±2個)』
(個人により差はある)
と提唱している。
何十個というルールは、人間は元々記憶できないということだ。
次に
『②他者が決めた細かいルールを守っていくうちに、自らの思考は停止させるようになる(考えなくなる)』について考える。
自分が納得して決めたルールではないものを、日々、「ああしなさい、こうしなさい」と言われ続けたらどうだろうか?
”言われたから、ルールだからやる”という受動的社員は、元々、物事をしっかりと考える習慣が薄い上に、更に輪をかけて”何かあればルールを決めてくれるだろう””自分はその決められたルールさえ黙って守っていればいい”と考えがちだ。
元々自らの思考を停止しかけている所に、offボタンをポチッと押されるようなものだ。
(大量生産型時代にはこういう人材は貴重であったが、現在の付加価値型時代にはお荷物となる)
一方自分軸がしっかりしている自主的社員は、ルールの整合性をしっかりと考え、納得できれば自らの意思決定の元、自発的にやるようになるだろう。しかし整合性が無いと判断した場合、異議を唱えるか、唱えても無駄な場合はその会社を去るだろう。
これらの事を考慮して私が考えた進み方として、
Step1:大まかなルールをつくり、ゴールを示す。
(そのゴール達成までの進み方、行動の仕方は一人一人考えさせるように訓練する)
Step2:
【パターンA】
そのまま(Step1で一人一人考えるように訓練し自主的社員になってくれれば、あとは自分達で考えて行動できる
【パターンB】※自主的社員である事が前提
みんなで話し合い、必要であれば細かいルールを設定する(なぜそうしなければいけないのかを一人一人が納得していること)
※決して受動的社員と細かいルールを組み合わせてはいけない
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