本当の意味で「人を好きになる」ということ

今日はこのテーマが自分に降ってきたから考えた。


自分が『自分』を好きになってから気づいたことだけれど、

自分を好きになる前と後では、人への【好き】という気持ちが随分違う。


自分を好きになれなかった頃は、常に”攻撃されたらどうしよう”

という不安感が付きまとっていた。

だから

”この人好き、良いな~”と思う人は、

自分と近い感覚(価値観)の人

自分に攻撃してこなさそうな人

であったような気がする。


それは全て自分中心目線で選別していたんだと気づいた。




そして自分を好きになってからは”攻撃されたらどうしよう”

という不安は一切無くなった。


攻撃=自分が崩れ落ちる

という構図だったので、自分を守ることが最優先事項であった。


それが自分を好きになることにより、自分の中に安心感が出来上がり、

攻撃=相手の意見

という構図に変わった。


すると、

同じ感覚の仲間と信頼感で結ばれることができ(この信頼感も外的に作られるのではなく『自分が信頼できてしまう』という感じ)、自分とは違う感覚の人も受け入れることが出来るようになった。

きっと外からの刺激で自分が崩れ落ちることは無いからであろう。


この感覚になると、『嫌いな人』『苦手な人』というものが生まれない。



自分を好きになれない時は『嫌いな人』『苦手な人』は

【自分を攻撃してくる人、脅かしてくる人】

だったが、

自分が自分をしっかりと守れる(=自分を信頼できる)ようになると、

誰からも攻撃されず、脅かされない状態になる。

傍から見て

”攻撃されてるよ、脅かされてるよ”

という行為を受けたとしても、

”この人はそういう考えなんだね~。あれ、でもこれって本心かなぁ~?何かがこの人をそうさせているんじゃないか?それって何だろう?”

になってしまう。

そして私の興味は、

”この人が抱えているものは何なのか?”

だけになる。



こうやって思考が変化していって気づいたことは、

私は”人間”という生き物が大好き。

だからみんなが、その人らしい『幸せ』を感じて生きていたら嬉しく思う。



”自分にとってこの人はどうか?”

ではなく、

”どんな人もみんな良い”



成長途中で色々な感情や言葉が出てきてしまい、状況がぐちゃぐちゃになることもある。

でも、それでも一生懸命、

”良くしたい、良くなりたい” という想いは、

とても美しい。

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