『年配者を敬いましょう』と誰が言い始めたのか

今日は、お風呂でこんなことが頭をよぎった。

今では色々な人が、“植えつけられた知識”として使ってはいるが、その昔、誰か一人が言い出したことにより広まったはずだ。


その最初に言った人がどんな人か、私は気になった。


考えた結果、
①『若者に尊敬されなかった年配者』
もしくは、
②『若者に尊敬されなかった年配者を見て不憫に思った誰か』
のどちらかに辿り着いた。


どうしてその結果に辿り着いたかというと、

まず、

これを言った者は、本人(年配者)か、本人以外かで考えた。


そして本人だとすると、
その者は『他人軸』で生きており、魂が未成熟な人だということが分かる。

『自分軸』で生きている人間は、他人から“敬って欲しい”とは思わない。
そして人生は『他人軸』→『自分軸』に移行させることがとても大切で、それは魂の成熟度合いと比例するのではと、私は思う。

魂が成熟した人間には、放っておいても、人は集まるし、尊敬も自然とされる。なので、自分からそのような言葉を言う必要は無いのだ。



今度は本人以外の場合で考えた。

まだ誰も“年配者を敬う”という概念が無かった時代(言葉に出してまでは言っていなかったが、個々の中に概念は存在していたのかもしれない)、

突如としてその言葉が出てくるだろうか?

自分が尊敬できる人は個別で敬っていたと思う。
それならそのまま個別で敬っていれば何の問題も無いのでは無いだろうか。
しかし、『年配者』と、大くくりで言うようになったのだ。

なぜ?

“年齢層”ではなく“個”として存在させていてもいいと思うのに、大くくりにした理由。

私は、
大くくりで言わざるを得ない状況がそこに存在していたのではないか
と考えた。



成熟した人間は、本人の意思とは無関係に周囲から敬われるが、敬われない人間も身近にいて、どうにかその人にも平等に『敬われる』という環境を作り出さねばならない状況があり、頭をひねった結果、出た言葉だったのだろう


私はそう思った。



なんとも、切ない・・・

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