「わかるよ、わかるよ~、でもさ・・・」
過去に何度も味わってきたこの嫌な感じ・・・
なんで嫌だと感じるのか、
どこが嫌だと感じるのか
ふと掘り下げてみた
そうしたら2つ出てきた
1つめは、
人間が体感した嫌な事は、事例は違ったとしても、誰しも一度は経験していることが多い
だから自分が体感した嫌な事を話すと、
「わかるよ、わかるよ」
と言われる
でも、自分では納得できていない、スッキリしない感覚の時がある
それは、
『共感したい場所が違っている』
からである
軽い共感で良い物事ならそれでスッキリするが、
本当に苦しかった時期は、
それが自分の中では生きるか死ぬかくらいに大きな問題となっていた
なので本当に共感して欲しい場所は、
体感した嫌な ”事” ではなく、
”それを自分はどう感じ、自分の中でどのように暴れまわり苦しめられているか”
だった
この部分の共感は非常に難しく、
人の感性によって大きく違ってくる
ある物事が起きても、
「嫌だけど、考えてもしょうがないし・・・」
と感じる人もいれば、
「何で!何で!嫌だって言ってるじゃん!やめて、やめて、苦しいよ・・・息ができないよ・・・」
とまで感じる人もいる
自分と同じような『感性』の持ち主に出逢えれば
本当に救われる・・・
2つめは、
「わかるよ、わかるよ~、でもさ・・・」
この
『でもさ』
の切り返しの部分だ
進んでいくには必ず通る“発想の転換”の部分だが、人には“転換したい時期”と“転換したくない時期”が存在する
私はその“転換したくない時期”に、この言葉を聞いてきたのだろう
“苦しくて、苦しくて、何とかしてー”
と本人は思っているのだけれど、無意識に転換を拒否する
それがモヤモヤとして残るのだろう
本人の自覚している意識とは違う、
『苦しみにどっぷりと浸かり味わいたい時期』
というのが、やはり存在する
次にジャンプするエネルギーを溜め込む時期なのだろう
だから、高くジャンプする人はたくさんのエネルギーを溜めないといけないので、どっぷり浸かる必要がある
私は相談に来ていただいた方に、
「今はその感情、苦しみを味わってください」
と、伝えることがある
そして忘れずに、
未来の話もする
この苦しみを抱え、出口が分からず辺りをウロウロしているのは、とても苦しくて、寂しくて、不安なものだ
だから、あなたが
今は何処にいて、
今は何をしている時期で、
いつか飛び出したいと腹の底から思う時期が来て、
飛び出したらどんな未来が待っているか
だから、今は味わうんです
と。
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