人は、相手が自分を信じているかどうかを
無意識に感じることができると思う。
相手から発せられる言葉や態度から感じたり、
言葉に魂がのっているか
などから感じ取るのだろうか。
これは人間だけのものなのか、
ある程度脳の発達した動物に共通するものなのか、
そこまではわからないが。
その「信じてもらえている」感覚は、
人間をプラスの方向へと導く力を持っている。
もし、
相手とより良い関係を結んだり、
相手が良い方向へ向かってほしいと思うのであれば、
「相手を信じる」ことをすればよい。
中には、『人を信じる』ことが難しい人もいるだろう。
その時は、昔の心の傷が痛むからだろう。
”信じたのに裏切られ、痛い思いをした”
親子関係、友人関係、パートナー関係で起こったか。
それなら、まずは自分のその傷を癒すことから始めよう。
癒すにはその当時の痛い思いを直視しなければいけない。
苦しいけれど、乗り越えた先には想像もつかない世界が待っていることだけは
間違いなく言える。
私も経験してきた一人だから。
自分で掘り下げていけれる人はいけばいいし、
一人では難しいようであれば、カウンセラーの手を借りればいい。
そうやって自分を整えた先の
『相手を信じる』ということは、
「信じられる根拠があるから信じる」
というのではなく、
信じれるか信じれないかわからないけれど、
私は相手と良い関係になりたい、
私は相手が良い方向へ向かってくれたら嬉しい、
そんな純粋な思いだけで、
『相手を信じる』と決め、実行することだ。
そこには
”裏切られたらどうしよう”
”傷ついたらどうしよう”
という感覚は全くなく、
『もっとあなたと良くなるにはどすればいいかな』
しかない。
もし相手が自分に対してそう信じて接してくれたとするならば、
自分はどんな気持ちになるだろうか。
人が自然とプラスの方向へいく感覚が分かるのではないだろうか。
この「根拠なく信じる」関係性は、
すべての関係に言える。
親子関係、
パートナー関係、
友人関係、
上司・部下関係、
企業・従業員関係、
もし何かの関係性が上手くいっていないときは、
「私は相手を信じているか」と自問してみるといい。
相手の問題だと思っていたことが、
実は課題は自分の中にあることに気づくだろう。
「根拠なく信じる」ことは
たやすいことではない。
私もいつでもできるわけではない。
自分が整っていないときには無理だ。
だから私が常に気を付けていることは、
「自分を整えること」
常にできるのは神レベルなので、
この世に人間として存在する意味はない。
不完全だからこそ、この世に生まれて
修行する意味があるのだ。
だから一歩ずつ一歩ずつ。
0回→1回できるようになればいい。
1回→2回できるようになればいい。
そうやって一歩ずつ積み上げていけばいい。
今日も修行の途中
命尽きるまで
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