夫が苦しんでいる。
思うように上司からの評価が得られないと。
自分より頑張っていない人が評価が高いことを知り、愕然としている。
夫が「所詮、世の中はこんなもんか・・・」とつぶやいたので、
「世の中、そんなもんでしょ。」と応えた。
私も周りの評価を気にして生きてきたので、気持ちはよくわかる。
友達からの評価、上司からの評価、夫からの評価・・・
ここ4年間で自分は飛躍的に成長したと思う。
ここ最近の私のテーマが、まさしく、『人からの評価で自分を評価しない』なのだ。
だいぶ、他人からの評価は気にならなくなり、「自分の評価は自分がする!」
ができるようになってきている。
これができるようになると、本当に楽に生きることができる。
夫は、上司からの評価の為に動いているから、見返りの評価がもらえず憤っている。
上司の評価というのは、所詮、人(上司)が変われば180度変わることなんてざらだ。
たーっくさんの価値観をもった人間が生きているこの社会で、たった一人の人の価値観に
囚われ、その人の評価を欲しいが為に自分を殺すなんて、もったいないことだ。
たとえ部長、役員になったとしても、会社から引退すれば、ただの一人の人間。
自分に役職が無くなった時に一体何が残るのか。
それが本当の人間力(魅力)ではないのだろうか。
私は自分が死ぬ時の理想の姿を思い描いてしまった。
描きたくて描いたのではなく、理想とする人生の先輩に出逢え、自然と頭の中にイメージが
降って湧いたのだ。
自分の人生のゴールが決まったら、あとは早い。
それに向かって逆算し、自分の行動を決めていけばいいのだ。
だから、私は必死で自分の器を広げたかった。
だからこの4年間、やれることは藁をもつかむ気持ちでやってきた。
自分を変えるのは可能だ。でも、簡単ではない。
でも、可能なのだ。不可能ではない。
やるかやらないかは、自分次第。
自分を変えてきた人は、同じように苦しんでいる人を見ると放っておけない。
苦しい時も、その後、楽になった時の両方を知っているからだ。
自分を変えるというのは、なりたい自分を、自分に刷り込んで洗脳していくのだ。
毎日、毎日、毎日、毎日・・・
最初は無理をしながら意識して行動、発言を変えていくのだが、それをさぼらず続けていくと、
それがいつしか意識しなくてもできるようになってくる。
でも、多くの人は、なんだかんだ理由をつけてやらない。
私は、その方法を聞くと、「本当か???」と思っても、まずやってきた。
元々、説明書はまず読まず、行動を先にするタイプなのもあって、「まず行動」でやってきたのが良かったと思う。
他人の評価なんてものは意味はない。
自分で「今日はよく頑張った。いい調子だぞ。」って自分を褒めてあげれば、それでマルなのだ。
人からは、2,3割の人が自分のことを好きと言ってくれれば、それでいい。
肩の力を抜いて、自分らしくわがままに(傍若無人とは違う)生きていれば、
必ず、こんな性格の自分を好きだと言ってくれる人はいる。
後の7,8割の人間は放っておけばいい。
本当に自分を嫌いな人もいれば、周りの状況に合わせて好き嫌いを判断している人間も多い。
周りの状況に合わせて価値観を決めている人は5割くらいいるのではないだろうか。
そんな自分の価値観を持たない人間にいちいち付き合っているほど、自分は暇ではないはずだ。
戦うのは、他人とではない。
自分自身と戦うのだ。
他人と戦おうとした時点で、自分は負けている。
なぜなら、その時点で自分の中に「志」が無いからだ。
長い年月をかけ「志」を自分の中で作り上げ、それを貫くことにより、人間の器が大きくなっていく。
これが「生きる」ということではないだろうか。
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