いつの頃からか、『母親らしく』を目指していた。
その『母親らしさ』という、正解など無い像を、私はどうやって作り上げていたのだろうか。
「あなたは母親なんだから・・・」
という母の言葉
「○○した方がいい。しないと○○になる可能性が・・・」
というたくさんの育児書
「あの子のお母さん、注意しないのね・・・」
という周囲の陰口。
自分は『しなくてもいい』って思うたくさんのことが、
「そういうこともしなくちゃいけないんだ!」
という言葉に変わり、自分の心に入ってくる。
しかし、元々の自分の考えとは違う価値観。
そのうちに『ひずみ』が生じてきた。
自己の崩壊
自分の価値観を他人に押し付ける
他人の価値観を受け入れたくない
価値観の違う人と付き合いたくない
ママ達の中にどうやって入っていけばいいのか分からなくなる
孤独だ・・・
そして
自分を許すこと
自分を信じてあげること
心が引きちぎれそうになる状況から逃げなかった結果、
『自分らしく』
を手に入れることができた。
私の魔法の言葉
『嫌われたっていいや。だって、私愛されてるもん』
この言葉が心から言えた時、
怖いものはなくなった。
そして、私らしい人との付き合い方、子育ての仕方ができるようになった。
<とある日常のシーン パート1>
子供 「ママこれやってー」
私 「嫌~。だってママ今から休憩タイムだもん。しばらく私に話しかけないで~。」
自分の心がのらない時は、平気で断る
<飛行機で旅行へ行った時の帰りの便での搭乗シーン>
子供(兄) 「窓側座りたい!」
私 「絶対に嫌!私はこの飛行機の窓から地上を眺めるのが何よりの楽しみなんだから!
あんたは行の便で窓側だったけど、すぐに外見なくなったでしょ!
もったいない!絶対に譲らない!」
子供(妹) 「もう、ケンカしないの~」
4歳の娘が仲裁に入る
<夢にまで見たリスザルが野放しの動物園のシーン>
子供(妹) 「もう他の動物の所へ行きたい~」
私 「やだー!だってこんなに触れる動物園はめったにないんだよ!もっと触りたいー!」
娘と夫は行ってしまったが、息子が付き合ってくれた
私 「見て~かわいい~。もっと餌やりしよぅ~。
子供(兄) 「もうパパ達行っちゃったよ。」
私 「だって、もっとここにいたいんだもん~。おねが~い」
子供(兄) 「もう、あともうちょっとだけだよ」
私 「はぁ~い。見てー!あっちにもいる~」
息子を連れまわす
ハッキリ言って私は子供だ。
子供の心がたくさん残ってる。
それに比べたら、夫、子供達は大人だと思う。
だから、家族のみんなに面倒を見てもらうことにしたのだ。
だから、私は家族の中で思い切りはしゃぐ。
でも、それが楽しくて心地よくて、無理していない自分だと感じる。
今まで自分が作り上げていた『母親』とは、全然違う。
でも、元々持っている自分は「子供心の自分」なのだから、
頑張って『母親』演じていても、演じ切れていなかったと思う。
家族は分かってたのだ。
頑張って演じている自分に対し、一瞬でさらっと『母親』らしく、
しかも、私以上にできてしまう夫。
張り合ってみたこともあった。悔しいと感じたこともあった。
でも、あきらめた。
『子供心の自分』、『「母親」を演じられない自分』を許すことにした。
楽になった。
家族にワガママいっぱい言って、"我がまま"の自分を受け入れてもらえた。
いや、元々、『大人心』は求められてはいなかったのかも。
夫も子供達もいい顔してる。
顔を見ていれば分かる。
子供達といっぱい冗談言って、ふざけて、私の失敗を見て笑われ・・・
そしてつられて夫も笑う。
これで良かったんだ。
素の自分で。
すっごくテキトーな子育てしてます。
気分で動いちゃう母親です。
子供の面倒、ほとんど見ません。
だって、逆に私の面倒を見てくれるから。(夫も)
でもね、私、家族の為なら死ねる。
だから、他から何を言われても大丈夫。
だって、他からは分からない、この家族の温かさ、感じられるから。
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