今日、息子は学校を休んだ。
朝、テレビを見過ぎて宿題が中途半端、バタバタと用意をして家を出たものの、プールの用意を忘れたことに気づき、とぼとぼ家に帰ってきて、「もう無理だー!学校行けれない!休むー!」と荷物を投げ出し、1階で大暴れ。
我が家は幸運なことに2階リビングの為、1階で大暴れしている息子をよそに、娘と朝食を優雅に食べた。
いつもの彼は、あさからテレビを優雅に見て、その合間に宿題、朝食、準備を済ませ、通学団出発の5分前には必ず家を出ていくのだ。
その様子は、素晴らしいものがあった。
宿題は、何にも言わなくても勝手に自分で時間を見計らってこなす。
朝の時間も、優雅にテレビを見ていたかと思うと、さささっと、あっという間に準備を終えている。
そしてテレビを見ながらも、遅れずに家を出ていく。
なんにも手のかからない、自由を愛する息子なのだ。
縛られるのが嫌な息子は(私とそっくりだ)、運動神経はとってもいいが、『教室』とつくものには断固拒否。
その理由は、"やらなければいけない"ことに苦痛を感じるからのようだ。
そんな彼にも弱点がある。
それは、"朝の出発時間に遅れると、学校へ行くのが嫌になる"こと。
色々な物事が崩れ始めると、修正がきかないのであろう。
トントンと、毎日のリズムで物事がスムーズにいくときは大丈夫なのだが、一度歯車が崩れると、"この世の終わりだ・・・"となってしまう事がたまにある。
彼の口から "まぁ、いいっか" を聞くこともあるが、時々、自分の中で”やっていはけいない”というルールも結構あるようだ。
それは私が教えたものではい。社会から感じ取ったルールなのだろうか。
私には意味を感じず、『そんなルールは無視しちゃえ~』ってことを、
彼は『ダメだよ。ルール無視しちゃあ』
ってことがちょくちょくある。
その拒否を示すたいていのルールの内容は、『新しい世界への挑戦』に関することが多い。
彼は保守的だと思う。
話を戻すが、
そうして彼は今日、学校を休んだ。
しかし、これが初めてではない。2回目なのだ。
1回目の時は『そういう時もある。今日はゆっくり自由を楽しんだらいいよ』と、
あっさりと休ませた。
けど、2回目はそうはいかない。
暴れる彼を抱きかかえ、玄関まで連れて行き、
「君はこれは今日が初めてじゃないよね!どうしてこうなったか、原因はなんだ?!
言ってみなさい!(怒)」
どうやら彼は原因は分かっているようだ。
自分で考えて物事を組み立てれる人間になって欲しく、今まで彼にたくさんの自由を与えてきた。そしてその自由の中には、今日のような失敗は当然ある。しかし、その失敗の責任も取れる(引き受けることができる)人間だけが『自由』を手にすることができると、私は考えている。"責任は取らないが、自由だけを望んで生きたい"なんてことは、誰もが望んでいることであるが、不可能なことなのだ。
そこで私は彼に選択肢を与えた。
①今まで通り『自由』を与える代わりに、今日は、どんなに恥ずかしい、悲しい気持ちだったとしても学校に行くこと。
(今日学校へ行くことが、今の彼の"責任"だと私は思ったから)
②今日は学校へ行かなくてもいい代わりに、彼から『自由』を奪う
(細かく時間や物事の管理をされる)
私としては①を選んで欲しいという思いはあったが、彼は②を選んだ。
"学校に行かなくてもいい"という、目先の飴に心を奪われて選択したのでは?
と、私は思った。
私は前々から彼に伝えたかった『勇気』の話をした。もう一度だけ考えてほしかった。
”途中参加でバツが悪く、カッコ悪くても、一歩踏み出す『勇気』が有るか、無いかによって、物事は大きく変わってくる。たった一回の『勇気』を出すことにより、乗り越えられる気持ちや出来事があるんだよ。”
それでも彼は②を選んだ。
そして彼は言った。
「どっちを選んでも、『勇気』を出すってことになるんじゃない?学校行かない方だって、僕は管理される生活を知らないから(新しい生活へ踏み出す勇気って解釈できるよね)。」
私は心の底から、『彼はすごい!』と思った。
"そういう角度で見たら、その通りだわ!私にはその発想無かったなぁ・・・"
私は嬉しかった。
ようし、彼の望み通り、徹底的に『管理される』生活を体験させてあげよう!と思った。
私にとっては『地獄のような生活』と思えるが、やってみたら、以外と彼には居心地が良かったりして。
こればっかりは色々体験してみないと、自分は何が好きで何が嫌いかは分からないものだと思う。
今回は伝える機会が無かったけど、いつか子供達に
"いっぱい恥をかいても、メチャメチャカッコ悪くても、『自分の価値』は変わらないんだよ。だから、思いっきり真剣にやりたいことやってみな"
と伝えたい。
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