AKYという選択

私は子供の頃から人の顔色をよく見ていた。

一番古い記憶は、母親の顔だ。

母が今、機嫌かいいのか悪いのかを探っている子供の自分の記憶が写真のように残っている。

そして学校生活。

話している相手の顔を見て、”話がつまらないけど付き合ってくれているのか?”、”私の事をうっとおしいと思っているのか?”、”会話を切り上げたいと思っているのか?”・・・・

相手の顔の筋肉の動きから読み取り、マイナスの感じを受け取ったら、もうそこからは一歩も前に進めなくなってしまう。

本当に相手はそう思っていたのか、自分の勝手な想像なのか・・・それは今となっては分からない。

相手に気持ちを確認できるくらい自分に自信のついた今では、相手に直接気持ちを聞くようにしている。

そうして自分の感じたものと相手が思っていることを照らし合わせると、自分の勝手な思い込み、想像の方が多いように感じる。

子供頃にたくさん訓練を積んできたせいか、空気を読むことは不得意ではない。

しかし逆に空気を読み過ぎて、ずっと何も言えなかったり行動できなかった自分だった。

『本当の自分の人生を生きたい』と思うようになってからは、私はAKYという選択をした。

A:あえて

K:空気

Y:読まない

これが、結構自由に羽ばたけて、私は好きだ。

批判を買うこともあるが、何かを手に入れたければ、マイナスの何かも一緒に受け入れる覚悟が必要だ。物事は表裏一体。表だけ手に入れることはできないのだ。


自分で自分に『自由』を許していない人は、こういう生き方をしている人物に触れると腹が立つものだ。

"自由になりたい~"って自分の深い部分の心が叫んでいるが、表面に出ている”自分”が無理矢理そのものに蓋をしてしまって見てくれないからだ。

自分の中には心が2つ存在する。

深い部分の心(本心:誰にも左右されない)、表面の心(理性:状況・環境に左右される)

両方の心が一致しない時に、人は感情が揺れ動く。


だから、自分が腹の立つ人物に出逢ったらチャンス。

本心は、自分は腹の立つ人物のようになりたいと感じているのだ。そして、なれる可能性が高い。可能性が低い、本心でなりたいと思っていないタイプの人間には、何の感情も発生しないからだ。


「人間」という生き物は、実におもしろい。

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