私は3歳から中学生までバイオリンを習っていた。
しかし、その思い出は辛いものもたくさんあった。
私は音と楽しく遊ぶのが好きだった。
しかし先生は、きっちり楽譜通り、型通り、というのを大切にしている先生で、
レッスンは苦痛であった。
段々と練習が苦痛になり、家では、練習をしないことで
母の怒りに火がつくことがよくあった。
お尻をたたかれ、家の外に引きずり出され、夜の闇の中、家の鍵を閉められたことは数え切れなかった。
この思い出はずっと忘れていた。
でも、こうやって書いてみると、
「自分の家が絶対的な安心・安全な場所」ではなかった
一つの要因となっているのだろう。
書いていて、
『家の外に引きずり出され、家の鍵を閉められた』
このフレーズに、涙がこみ上げそうになった。
あぁ、また、こんな所に傷が残ってるんだぁ・・・
後でゆっくり、この頃の私に出会いにいこう。
いっぱい、悲しかったこと、苦しかったこと、恐かったこと、
じっくりと聴いてあげよう。
もう、私は知っているから大丈夫。
母が、「母の形」で必死に私を愛していたことを。
だから、子供の私の話を、今の私がしっかりと聴いてあげれば、
昇華していくだろう。
そして、私がこのテーマを書こうと思ったのは、
葉加瀬太郎さんのバイオリンを弾いている姿を見ると、
ウズウズが止まらないということ。
そして心の奥底からマグマのように「音楽」への渇望が込み上げてくる。
もっと、もっと、心も体も自由に、音楽の世界にどっぷりと浸って、
何かを表現したくなる。
それが、バイオリンでなのか、歌でなのか、分からないが、
今は手足に足かせがついているかのような、不自由さがある。
もっと、もっと、表現したいものが自分の中に、とてつもなく広がっているのを感じる。
これを外に吐き出せたら、どんなにスッキリするだろうか。
あまりにも外に出す技術が、私に無さすぎる。
もどかしい。
この肉体から抜け出したくなる。
間違いなく、「音」は、
私の何かにサインを送っている。
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