指示待ち人間

学校教育の中で、

『指示待ち人間』

『何でも許可を取ってから行動する人間』

を減らし、主体的に行動できる人間を育てていく事をやっている(やっていく?)ようだ。


とても素晴らしいと私は思う。

主体的に行動できる人間の人生は輝いている。


しかし、果たして主体的にみんなが行動をするようになったら、世の中どうなるのだろうか・・・

全ての世代の人間が主体的に生きるようになれば、いいのだろうが、狭間の世代は大変だろう。


私が会社に入った時、私は良く失敗をした。

そしてその度に、

”どうして先輩に聞いてから行動しなかったのか?”

”それは許可をちゃんと取ったのか?”

強く言われた。


きっと、コンプライアンス等がどんどん厳しくなってきている今の会社状況では、さらに厳しく言われていると思う。

そんな中で、『主体的に行動すること』が、どれだけのハイリスクを伴うか。


会社の中でも、「若い世代は指示待ち人間が多い」と聞くが、そう育てたのは、はたして誰なのだろうか。


子育てをしていて感じるが、ルールがとても多い。

そんなルールに縛られながら『主体的に生きる』という生き方を、教えるのは容易ではない。

”周囲との調和もとりつつ”も要求される日本の子育て。

とてもできる気がしない。


だから私は、はみ出ることにした。


主体的に生きている集団の中で、主体的に行動することは可能だ。

皆、”行動に伴う責任”を負う覚悟を持っている。

しかし能動的に生きている集団の中で、主体的に行動をした場合、

どうなるだろうか?恐ろしいことになりそうだ。


主体的に生きる人間を育てたいのであれば、私達大人が自分の人生を主体的に生きているかどうかを、今一度考える必要があると思う。




0コメント

  • 1000 / 1000