被害妄想女のメカニズム

私はかつて被害妄想女だった。

夫からも「被害妄想激しい」と言われていた。


夫は家事育児を難なくこなすイクメンさん。

だから私が家の事をほったらかしで出かけても文句は言わない。

夫は、「家事・育児は『二人』のこのとでしょ。だから僕もやるのは当然だと思ってるよ。」

そう言ってくれていた。(共働きだったので)


が、、、、、


何日も自分が家事育児をおろそかにしていると、

夫の少しの行動が、”無言で攻められている”ように感じてくる。

”お皿を片づける、洗う時の物音がいつもより大きい。

イラっとしてるのかな?私が全然やらないから腹が立ってるのかな?

「お前も少しはやれよ!」

内心、そう思ってるのかも。

いや、そう思ってるよ。

でもさ、私だって自分の用事入れても良くない?

そっちだって趣味の用事とか入れてるじゃん。

なんで私だけ我慢しないといけないの~???”



そして他の事がきっかけで自分から出てくる言葉が、

「私だって気兼ねなく自分の好きなことをする時間欲しいのに!」


夫は、

「すればいいじゃん。俺、お前に制限してないよ。『いいよ』って言ってるじゃん。

なんでそう被害妄想激しいの?」



よその旦那さんからも、これに似た話、耳にするんです。

そりゃそうですよね。旦那さん側からしたら意味わからないですよね?

『いいよ』って言ってるのに怒ってる奥さんがいる。


ポイントは、目の前の事実から、勝手に頭の中でマイナスの方向へ会話を進めてしまい、物語が出来上がっている事。

その人本人にしか展開されているストーリは分からないから、最後に吐き出す

「私だって気兼ねなく自分の好きなことをする時間欲しいのに!」

この言葉だけを伝えられる相手はチンプンカンプン。

そしてすれ違いが起こっていきました。



そして私は、どうして目の前の事実から勝手にマイナス方向へのストーリー展開になるのかを考えました。

結果、

自分の中に『奥さん、母親たるもの、こうでなければならない』像がしっかりと造形されており、自分のしたいことがそこから外れていると罪悪感を覚えてしまう。

たとえ他人が「やってもいいよ」と許可をしてくれていても、『自分自身が』許可をしていない以上、その行為は『罪』として認識する為、心が苦しくなるのだ。


女性に多い傾向だと思う。

親からの言葉、世間からの言葉を耳にし、女性は

『良妻としての振る舞い』

『良母としての精神性』

を強弱は人によって違うが、持っているのではないだろうか。

女性がのびのび仕事にプライベートを男性同様に謳歌すると、上記の像には外れてしまうんです。

この造られた像は、今の時代とは違うから。


私もびっしりとこの像と闘っていたのです。

自分では旦那さんと闘っていたつもりでいましたが・・・

対戦相手に選ばれた旦那さんはたまったものではありませんね(^ ^;


それに気づいてから、私は自分の中の「こうあるべき像」をぶち壊すことにしました。

一つ一つ自分に許可を出して。


それからは私も、夫もハッピーです。

今週、先週と、やりたいことを謳歌している私。

夫、夫のお母さん、自分のお母さん、ママ友に、たっくさん助けてもらって(*^ ^*)。

もう罪悪感はありません。だってやりたいのが『私』だから。型になんてはまらない~。

だから、『感謝』しかない。周りの人達が助けてくれるおかげで、自分のやりたいことができる。

こんなに人から優しくしてもらったから、もし困っている人がいたら、今度は私が助けてあげたい。


ふと、思い出した。

「”してもらったから、してあげる”じゃなくて、まずは”してあげる”が先だよ」

そう言われていた時の事を思い出した。

罪悪感を抱いていた。”欲しい”と願ってばかりで、”してあげられない”自分に。

でもさ、やっぱり私はそれ、無理!

「欲しい」って口に出して、人がくれた時に、心がポッと温たかくなる。

その温かい心の状態の時に、サイコーの自分の中のあったかいものを私は相手に渡せる。

その心の温かさが一瞬のものではなくて、炭のようにじわ~っと温かくて、絶えることのない状態の時は自分からどんどん溢れ出て来て周りに勝手に振りまいている。相手が受け取ったかどうかは関係ない。自分が出したいだけ。

でも、”今日は無理。心が温かくない。誰かちょうだいー”って時は、誰かにもらう。絶対にあげない。

そうやって『もらって、あげて』の関係、サイコーに良い!

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