「生きること」の本質は何か。真実へのあいまいさ

私は物事の「真実」を探ることが大好きだ。


世の中や自分の人生の中で起こる様々な出来事、感情の「真実」は何なのか。

様々な角度から、自分が納得できるまで推測し深掘りをしていく。


行きつく先は、無意識の領域の世界、目に見えない領域の世界となる。

したがって数値で測ることなど出来ず、「真実」は実証できないものとなる。


しかし、もうこの領域までくれば、そこは『あいまい』でいいと思っている。



なぜなら、

「真実」

よりも

「前へ進むこと」

の方が重要度が高いからだ。



人間に必要なのは、

「真実」

よりも

「前へ進むこと」




もう数値で測れない部分まで来た時、

その結論で自分が納得し、前へ進めるのであれば、

それを「真実」とすればいいと思っている。




だから私が講座やカウンセリング等で話しているものには、

確固たる数値はついてこない。



10年前提唱されたものが10年後には否定されることなど、数えきれない程たくさんある中で、

数値で出てきたものを「真実」と捉えるのは危ういのではないだろうか。



私は、「真実」とはもっと奥深く、複雑に絡み合い、この生き物が目で見えるような浅いものではないと感じている。

目を閉じ、神経を研ぎ澄まし、考えることを停止させないで動かし続けた先に、天からふと降りてくる。

何の確証もないけれど、「これだと思う!」そんな気がしてならないもの。



それが自分の腹に落ち、そして前に進めるようになる。



この「前に進める」が、

「真実」である唯一の確証だと私は思う。




私はいつも人に話す時、最後にこう言葉を付け足す。


『私が言っていることは、真実じゃないかもしれない。誰にも確実な証明はできない分野の話だから。ただ腹に落ちて自分が前に進めそうと思えるなら、「真実」がどうであれ、「これが真実だ」と思って進めばいい。なぜなら、人生で大切なことは「真実」より「前へ進むこと」だから。』


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