私が自由に生きられないのは、母のせい

ある人のこんな言葉が私の胸に残った。



「母が病気になり、母に頼ることが現実的にできなくなった時、自分は、心のどこかで『自分が生きてきて苦しいのは母のせい』としていたこと。そして、その思考は『甘え』なんだと分かった。そしてこれからは自分の足できちんと立たないといけないんだということに気付かされた。」




私にも身に覚えがある。

どれ程、『母』のせいにしただろうか。

そして私を成長させてくれた恩師に、何度、

「あなたはどうしていつも『お母さん』なの!」

と、言われたか・・・。




私もそこからのスタートだった。

【参考:『「無いもの」に目を向ける心のくせ』】





苦しくて・・・

こんなに私が苦しいのは誰のせい?

自分のせい・・・?

嫌よ。ただでさえ苦しいうえに、更に苦しみを負うなんて。

・・・

そう、『母』よ。私がこんなに苦しいのは、『母のせい』よ。

母さえ私を認めてありのままを受け入れてくれていれば、私、こんなに苦しまなくて済んだのに・・・





その時は全然気付けれなかったけれど、

『人のせい』にしているのって、楽なんだよね。

『全ては自分のせい』として動いてみて、初めて分かった。

『人のせい』が、どれほど無責任で幼稚で楽な行為だったのかという事が。



『母のせい』は、

母に責任を取らせようとする、子供の視点からの行為。

でも、ある時にふと、母の『老い』を感じた時、気づかされる。


”あぁ、いつまでも私も守ってくれる人だと思っていたけれど、もう違うんだ。もう、私が母を守っていかなければいけない立場になってしまったんだ・・・”

と。




いつも、いつも、私より大きな体、大きな手、大きな存在・・・


そう思っていたのに、


いつの間にか私の方が、背が高く、大きな手になっていた。


居たのは、小さな、不完全なただ一人の女性。


不完全な人間同士が、お互いに、ただ、ただ、その時を一生懸命生きていただけだった・・・

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