母の言葉

今日は夕方から子供たちを連れて実家へ久々に泊まりに行く予定だった。

出発の10分前、断念せざるを得ない事態となった。

娘がとびひで顔にはガーゼだらけ。

兄の子供も泊まる予定で、うつるのが心配ということだったので、私は行くのをやめた。

兄の所にはもう一人、重度の脳障害の子がいる。

母はいつもそっちの手伝いで、その子が生まれてからの7年間、私は母を頼ることができず、

実家にもほとんど帰っていない。

こんなにも母が近くにいるのに、頼りたくても頼れない。

私は母を困らせたくない思いで、ずっと我慢をしてきた。

頭では理解できても、気持ちがついていかない。

頼りたくても実家が遠い人、既に親が亡くなっている人に比べたら・・・

自分の心の小ささ、狭さに愕然とし、自分を責めた。

笑顔で兄夫婦に接することができない自分も、また責めた。

兄達の暮らしに比べたら、自分ははるかに楽なのに、快く身を引けない自分を恥じた。

自分を責めることに疲れ、兄夫婦とは距離をとったりもした。

しかし時々、別の形で爆発する。

おもしろいことに、全くの別の形で現れるのだ。

私は仕事のことで気持ちが爆発するのだが、状況を深掘りし元をたどっていくと、

この母、兄の問題にぶつかる。

何度かの爆発を経て、母へは気持ちを伝えることができるようになってきた。

しかし、板挟みになってしまう母を思うと、申し訳ない。

そして今日の事件。

平気だと思っていたが、後から涙があふれてきた。

兄達は同居ではないので、実家へ行くのは同じ条件。

しかし譲らなければいけない状況。

私がわがままを言って、「嫌ならそっちが泊まりに行かなければいいのでは?」とは、到底言えない。

言ってお泊りが実現したとしても、譲れなかった自分を責めるだけ。

向こうには、脳障害の子が実家の近くの病院に現在入院しているのだ。

譲るべきは私だろう。

こうして何度譲ってきたことか。

しかし、お礼は一度も無かった。

お礼が欲しい時点で、自分はまだまだだと思うが、心の行き場がない。

相手を責めることも違うし、ただただ、心の悲しみの行き場が無いのだ。

兄に私の今の気持ちだけ伝えようかと思ったが、とても怖くて電話できない。

今までは爆発するまで我慢をしてきたが、兄と一緒にいるであろう母に、勇気を出して電話をした。

母は私の気持ちを受け止めてくれた。

精一杯我慢している事にも気づいていたし、申し訳ないとも言ってくれた。

『私(母)を頼ることに関して、快く身を引けないことは、当たり前。

兄夫婦に笑顔で会えないのも、当たり前。

あなたが悪いんじゃない。そう思うのは当たり前の状況にいるんだよ。

でもそれでも自分が身を引くその優しさ、私(母)はあなたのことがすごいと思う。

人生長いから、今はできなくても、状況が変わってくれば、できるようになるから大丈夫。』

私は母の言葉で救われた。

昔も、同じように母の言葉で救われたことを思い出した。

あの時、あの母の言葉がなかったら、今、私はここには存在していなかっただろう・・・


0コメント

  • 1000 / 1000