自分の心を大切にして生きようと決めた今日この頃。
早速、第1試練。
昨日、仕事場の後輩の子に
「それは自分勝手ではないですか?」
「人の気持ちを考えるのが普通ではないですか?考えないんですか?」
と洗礼を受けた。
心屋さんの本やブログを読んでいて自分の心に響いたことが、
『「なりたい自分」になれない原因は、批判を受け取る覚悟がないから』
だから私は自分なりに覚悟して「なりたい自分」を実行した。
【相手に断る。】
事情がちょっとある複数人の関係性の中で、一人の人に「断る」ことをした。
我慢をして無難に付き合うという選択肢もあったが、私の心は「断りたい」と言っていた。
そして私が断った事により発生した洗礼。
その物事がきっかけで、新たな発見をした!
↓↓↓ 自分の心との会話 ↓↓↓
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・相手が傷つくから断らない…(自分の思いは我慢)
・自分の思いを大切にするから断る…(他者から批判を受ける事もある)
どちらを取るべきか・・・迷った・・・正解はないから・・・
でも、どうして「相手が傷つくから…」って自分は思うのだろうか?
相手がどういう感情になるかは、相手にしかわからないことなのに・・・
「相手が傷つくから…」=「自分が断られると傷つく」
なんだよね。
じゃあ、どうして「断られる」と自分は傷つくと感じるの?
「断られる」=「自分の人格否定」
と捉えてるからだ!
そもそも、
相手にも「断る」「断らない」の自由がある
だから、
私にも「断る」「断らない」の自由がある
『相手は自分を傷つけようと思って断ってはいない。ただ、都合が悪いだけ』
そこがきちんと自分の腹に落ちていれば、断られても傷つかない。
⇒だから、自分も「断る」ことに罪悪感を感じない。
これが「自由に生きる」ってことなのでは?
<私が生きたい生き方>
『自分も「自由」、相手も「自由」』
他者からの話(自分が今まで批判だと思っていた事)は、相手の意見。
自分への批判ではない。
だから傷つく必要は無し。
でも、「自分の意見はちゃんと言いたい」なら、「相手の意見(今まで自分への批判だと感じていた事)もちゃんと聞く」事が大切。
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こんなことが分かった。
自分の腹に落ちた。
そして更に、今回の問題とは別に抱えていた心のモヤモヤへ・・・
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『仕事場で同じグループ内の、「自分の意見を言わず周りとヒソヒソ人の批判をする」女子達が嫌!』
【どうして嫌なの?】
・"自分の事も同じように言われているんだろうなぁ~"と勝手に想像してしまって疲れる
・その彼女達の悪口(文句)を言っている自分が嫌い
【そもそも】
・ヒソヒソ言うか、ハッキリ言うかは、相手の自由
・悪口、文句、批判も立派な相手の意見
→女子達は、ちゃんと意見を言っていた!(新たな発見!)
【じゃあ、どうする?】
・「悪口(文句)を言う自分」をまず許そう。(だって、それが私の意見だから)
次に、相手の行為も許そう。
・自分も相手と同じことをしているから、自分も相手も許そう。
⇒自分も相手と同じことをする(していると自覚する)と、相手の事を許せるようになる。
※この時に自分を許していなかったらこうは思えないけど。
⇒自分を大切にすれば、相手も大切にできる。(心の底から)
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心がすっきりした瞬間だった!
以前は人の気持ちばかりを気にしていた自分。
だから身動きが取れなかった。
(=自分の事がいっぱい許せてなかった。過去の辛い体験を経験した自分を許せていなかった)。
でも、自分と向き合うことをしてきたおかげで、今は『我がまま』を実行することができる自分に
変わることができた。
そして今回は、それに対する自分への批判(=意見)も受け取れるだけの自分になれた。
『自分への自信』が、いつの間にかついていたことを実感した。
今の職場は、事なかれ主義者が多く、いわゆる『大人な対応』をする人達ばかり。
何をもって『大人』というのだろうか?
自分の意思を押し隠すことが『大人』なのか?
もしそうだとするなら、私は『大人』にならなくて良い。
そんな人生は私にとってはつまらない!
Awayな感じだけど、「逃げ出さずに、この中で、いかに自分らしさを捨てずに堂々としていられるか。」
これが私の今の目標。
きっと私の魂の人生プランの中で、
”今は自分軸をしっかりと育てる時期”
なんだろうなぁ~
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