いつの時代も平等に存在する「光」と「影」

『この世』は、

「光」と「影」を体感できる場所。




「影」が存在するから「光」を感じられる。


「光」ばかりであったとしたならば、

「光」が存在していることすら気付けないだろう。





文明が発達していく中で、

「過去の時代は良かった・・・」


そんな言葉が出てくる時もあるだろう





果たして、

その「過去」は一概に「本当に良かった」と言えるのだろうか?






テレビが一家に1台しか持てなかった時代、

家族の団らんは同じ情報を家族で共有していた。

子供もスマホを持つ現代、

家族は同じ場所には居ても夫はテレビ、妻はパソコン、子供はスマホでYouTube、

それぞれが違う情報を取っている。




ある人は言う。

「昔は家族が一つだった。今は同じ場所にいても家族はバラバラだ。」



そしてまたある人は、

「昔はお父さんの観たい番組しか観せてもらえず我慢の日々だった。リラックスできているのはおやじだけ。でも今は家族が同じ場所にいても、それぞれに合ったリラックス方法でリラックスできる。同じ空間でみんなが同じようにリラックスるしてる。」





同じ状況を取り上げても、

感じ方は180度の振り幅が存在する。







少数の群れ単位で狩猟生活をして大陸を移動し続けていた時代から、

少数の群れが合体して大きな組織となり、定住して農耕生活を始めた時代。



ある人は言う。

「安住の地とは良いものだ。みんなで協力し共有し合い、安定的な食糧が得られるということは幸せだ。」



そしてまたある人は、

「今までは自分の意見ですぐに動けたのに、人が集まると物事を決めるのに時間がかかる!大人数で暮らすというのは、なんて不便なんだ。昔はよかった・・・」




上記のように言ったどうかは想像でしかないが、

きっとこの感覚の振り幅は、

いつの時代も変わらなく存在していると、

私は思う。






起こっている物事は一つで、

どの部分を切り取ってフォーカスをするのか。


それだけの違いだと思う。


ニュースのように。




起こっている物事は一つなので同じ物事を見ているのに、

どうしてこんなにも感じる違いが出るのかというと、

人間の情報取得の原則として、

『人は自分が受け取りたい情報しか受け取らない』

が存在する。




この『受け取りたいもの』というのは厄介なもので、

無意識レベルに存在する。


人の話を長時間聞いていると、

その人が取得している情報の傾向が見えてきて、

そこから、その人が本当に『受け取りたいもの』が分かる。






例えば、

「自分の事を悪く言われるのは嫌だから、人間関係の輪を乱さないよう、私は人に気を使っています。」

と言っていたならば、

その人が『受け取りたいもの』と認識しているのは、

【平和】、【穏やか】、【安心】、【安全】、、、

というようなものだと思う。

しかし、上記のものをあなたは受け取れているのか?と聞くと、

ほとんどの人は「NO」と言うだろう。


なぜなら、

【不安】、【恐れ】、【恐怖】、【孤独】、、、

あなたが本当に『受け取りたいもの』は、これらなのだ。

ビックリするし、認めたくないだろうが、

アンテナがここに立っているので、ここの情報しか入ってこない。





私はカウンセリングでこの事実を相手に伝え、まずは認識をしてもらうことをする。

そこからアンテナの立て替え作業へと進んでいく。

本当に不思議なことだが、アンテナの位置が変われば驚くほどに自分に入ってくる情報が変わる。





一度、自分が受け取っている情報を並べてみると面白い。

そこから自分が本当に『受け取りたいもの=意識しているもの』が見えてくる。




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