コロナ禍で、現・近未来社会に合った学校教育について自由に考えてみた

私には中2男子、小3女子の二人の子供がいる。

普段なら、彼、彼女らは自分で学校の宿題を進め、私は一切関与しない。

しかしこのコロナ禍で、私が学校からの宿題の指示を受けることとなり、

私が学校教育に触れる機会が多くなった。



私は自分の中に積み上げてきた下記の知識や経験、そこから自分の中で膨らませた想像などから、現在の学校教育と社会とのズレが気になってきた。

・自分が17年間大企業で働いたこと

・現在のキャリアコンサルタントの仕事、NPO法人ブルーバードの仕事

・未来都市社会

・人間の魂の進む方向



そこで今晩は、こんな感じだったらいいなぁ~と、自由に想像して書いてみようと思った。

言うのは簡単で、現実に落とし込む(行動レベルにする、行動する)ことがどれだけ大変で、それが出来たら苦労しないよ。それが出来ないから困ってるんじゃん。ということは一切無視で書いてみたいと思う。

なぜなら、「実現可能か」の枠に囚われると、次の次元へ行けないからだ。次元が変わる時というのは、今ある固定概念を壊し、根底から創り上げなければならないのだ。

その為には何にも囚われず、『こう存在するといい』からのみで自由に想像、創造して外に出す必要があると私は思っている。



まだしっかり時間をかけて出しつくているわけではないので、

今時点で思いつく限りを書こうと思う。


そしてもう一つしっかりお伝えしないといけないことは、

私はとても偏った人間であるということ。

そんな私が、私一人の人生経験から出したものだということを最初に断っておきたい。

私が必要ないと思っても、私の経験以外の経験をした人からしたら必要だと思うかもしれない。その感覚の違いを共有しあうのも、新たな発見があって楽しそうなのでやってみたいと私は思う。



では、自由に考えてみようと思う。



■漢字は大切。しかし、完璧に書けなくてもOK。書き順もそこまでこだわる必要なし。

(ただし、字を上手に書きたい、日本の漢字という文化を深めたいと思うなら個人でやればいい。)

⇒漢字が読めないと書物が読めない。最近のものはネットにあり、漢字が読めなければ「読み上げ機能」を使えばいいが、物事を深く考えていく時には「ここまでに至った経緯」を知ることがやはり重要で、古いもの、マニアックなものはネット上に無いことがある。

漢字は「読めればいい」くらいで、後は漢字変換する際にどの漢字に変換すればいいかくらいが分かればいい。最悪、漢字変換もネットで調べればいいが、一つ一つ調べていたら時間がかかるので、ある程度は頭に入っている方が望ましい。



■歴史を知っておくのは大切。人類が何を見て、何を感じ、どう発展してきたのかを知っていることは、これから先を考える基盤となる。しかし、年号を覚える、出来事の名前を忠実に覚える必要はない。

⇒ざっくりと「確か、過去にこんなことあったと思う」と思い出せればOK。細かくはネットで調べれば情報はたくさんある。「ネットでキーワードを入れて調べる」という行為ができればいいのだ。それにはキーワードは必要だし、過去にあった事実をうっすらでも知っていないと「調べる」という行為に繋がらない。

そして知っているだけというよりは、「人類が何を見て、何を感じ、どう発展してきたのか」を自分の頭で再度回すこと。

例えば、

戦国時代の戦いで、こんな戦いがありました。どうして戦ったのか?本当に戦う意味があったのか?人の命とは?

その戦うに至った状況(どんな人が争っていて、どう争っていたなど)はこんな状況。その時代の人々の生活、価値観などの背景を知る。

それらを知ったうえで、考える。そして、『人と争う』という選択肢以外に方法は無いのか?過去にはできなかったが、現代にはできる選択肢などを考えていく。

そういうことで、「人類はどんな価値観を基盤として構築していくと豊かになっていけるのか」を一人一人が想像し考えるようになる。

そしてこれは余談だが、アマゾンプライムビデオで見つけた

『合戦前夜 ~武将たちのストラテジー~』

はとっても面白かった!

戦国武将の取った戦略が現代のビジネス手法とどうリンクしているのかを、

歴史学者と経済学者が対談して紐解いていく番組だ。

例えば、『真田家』はリスク分散をしっかりと行ったこと。また、「真田ブランド」というブランド力を高める為ブランディングをしっかりと行い物事の選択をしていったこと。現代でいうスズキ自動車と同じ戦略らしい。

過去の出来事が現代ビジネスに結びついているなんて、本当に面白い!



■理科で、ゾウリムシやミジンコの絵を答えたり、細胞の構造の名称(ミトコンドリアとかあったような)、顕微鏡の各部位などの名称を覚える必要はない。

(他にもいっぱいあるが、とりあえず思いついたもの)

⇒ゾウリムシがなぜ理科でいまだに取り上げられるのかを伝える授業の方が面白そう。何の役に立っているのか、はたまた、全く人類の役には立っておらず、「存在することがこんなにいい」的な感じなのか。

ネットで調べようと思って「ゾウリムシ」と入れると、候補に「ゾウリムシの増やし方」と出てきて笑えた。”別に増やさなくても・・・”と私は思ったが、増やそうとしているなら、なぜ増やしたいのかを知りたくなった(笑)。メダカや稚魚の餌なんだね~。メダカを飼ったことのある人は知っている知識なのかも。

細胞の構造知る必要ある?そっち分野に興味が湧いた人が深掘りしていくだけで良いのでは?

あと、顕微鏡の名称とかは研究分野に興味が将来出て日常的に触るようになれば自然と覚えるでしょ。

もっと、最近の研究結果と結びつけ、「微生物が地球を救う!人類を救う!」的なことを紹介する方が面白いのでは。(私はこっちの方が興味湧く)

「学び」が現代社会と紐づいていないと面白くない。学んでいる事の意味が見いだせないのでやる気が出ない。




と考えると、次から次へと出てくる(^ ^;



■組み込むと良いと思うのは、経済の仕組みを実体験して学ぶ機会。早くからこの視点を持っていると、自分のやりたいことを誰かの型に自分をはめ込むことなく、起業という形で実現しやすくなる。

学校の中に社会の機能(政治など)を入れこみ、実際に校内起業をして現実体験する。

しかし、経済の構造がどんどん変わっていくので、それに対応していく必要あり。

『賃金』という概念もいつまで存在するのか。近い将来無くなる可能性大。






さて、色々書きましたが、

私が思うのは、今ある技術はフルに使い、ただ知識を個人で持つために費やす教育の時間を減らしていくのが望ましいということです。

脳みそ以外に蓄積された『過去の経験・知識』を自由に引き出しアレンジして新しい経験・知識に変えていく能力が、これからの人類には必要だと感じる。

しかしこの前提となるのが、「ネットがある」ということ。

ネットがダウンしたり無くなったりした場合は、結局今までの人の頭の中に知識が存在する教育が重要となってくる。

そこで「ネットは存在し続けるのか」をちょっと考えてみた所、

人類が火を手にした、その『火』と、ネットは同じくらい人類にとって価値のあるものだと、私は思う。

現在も『火』が存在し続けているように、ネットも存在し続けるのではなないだろうか。そうであれば、早々に教育の方向転換を行ってもいいのではと思う。



今日はここまで。



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