納得しない自分今の自分に誰かが、『子供の自分』のままでもいいんだよそんなに頑張らなくてもいいんだよそう言ってくれたとしても、全く慰めにはならないもっと前のステージの時には、この言葉で救われたと思うでも今は全く響かないこんなに辛いのに、つくづく、“あぁ、自分で選んで生きてるんだな・・・”と、思い知らされる私が選んで、私が進んでる道なんで『いばらの道』を選ぶかね・・・自分に“ようやるよ、あんたは”そう言いたくなる22Oct2018
心に曇りがかかるもの次のステージに立たされた私は、『子供の自分』と『大人の自分』の統合に向けて、日々大きく揺れ動く自分の中での激しい感情を感じているここ数年の『子供の自分』で生きていた時は、『大人の自分』が感じていたものを無視し続け、心が曇るものは一切受け付けなかっただから何でも素直に受けとることができたとても幸せだった毎日が愛に溢れ、生きている喜びを心の底から感じ取ていたしかしどうやら、私が『この人生をかけて成し遂げたいこと』は、そこの場所ではないらしい自分でも抗うことのできない“その流れ”は、無情にも、私を次のステージへ運んでいった今の私は、『大人の自分』が感じる【『子供の自分』の心を曇らせるもの】が無視できず、心にどんどん入り込んでくる必死でその...22Oct2018
私の正体見つけた その2 ー感性の強い子ー『感性の強い子』で色々調べていくと、HSC・HSPというものを発見❗だから自分はこうだったのか・・・そして今はこうなんだ・・・と、より腹に落ちるカウンセリングに来られる方の中にも、この特性を持っている人がいる私が自分の過去体験を話すと、相談者の方の心の扉が開く感覚を味わう“やっと自分の訴えている感覚が共有できる・・・”そういう方は、『藁をも掴む』想いで、この苦しみの乗り越え方を聞いてこられますその気持ち、とても良く分かります【生きることが苦しみ】なのですから周りの人はどうしてそんなに平然と生きているの?どうして私は生きられないの?こんなにも色々な事が心に入ってきて、こんなにも色々な感情が心の中で暴れまわって、もう自分ではどう対応して...20Oct2018
私の正体見つけた🎵『自分が何者であるのか』それが分かると、ホッとする私の中に居る、『大人の自分』と『子供の自分』の統合作業が少しずつ始まった“子供の自分の感性を再び失うかもしれない”という恐怖と闘いながら19Oct2018
わかるよ、わかるよ~、でもさ・・・「わかるよ、わかるよ~、でもさ・・・」過去に何度も味わってきたこの嫌な感じ・・・なんで嫌だと感じるのか、どこが嫌だと感じるのかふと掘り下げてみたそうしたら2つ出てきた1つめは、人間が体感した嫌な事は、事例は違ったとしても、誰しも一度は経験していることが多いだから自分が体感した嫌な事を話すと、「わかるよ、わかるよ」と言われるでも、自分では納得できていない、スッキリしない感覚の時があるそれは、『共感したい場所が違っている』からである軽い共感で良い物事ならそれでスッキリするが、本当に苦しかった時期は、それが自分の中では生きるか死ぬかくらいに大きな問題となっていたなので本当に共感して欲しい場所は、体感した嫌な ”事” ではなく、”それを自分...17Oct2018
『自分の事が嫌い』は誰もが持ち合わせる感覚あるテレビドラマを見ていて、私は小6の息子に尋ねた。「あなたは自分の事が嫌いだと思うの?」すると息子は頷いた。その瞬間、私はひらめいた。『自分の事が嫌い』という感覚は、誰もが持ち合わせているもので、人間のスタートなのではないだろうか と。私は自分の事が嫌いすぎて精神が病みそうになり、そして今度は自分を好きになって世界の素晴らしさを体感した。だから、子供達には自分を嫌いにならないように育ててきたつもりだった。だが、息子は自分の事を嫌いになると言った。『自分を嫌いになる』ところから、『自分を認め(諦め)、好きになる』ことが“生きること”なのでは?と思った。人間の進化という視点で考えると、スタートから満足しているものには、進化...17Oct2018
子供の事が理解できない・・・それでいい母親と子供は別の個体『母親だから分かる』は幻想で、人間は誰しも、経験してきた事以上の事は理解できないもの別の生き物同士なのだから、理解は無理でも、『分かろう』『受け入れよう』という姿勢で向き合えばいい受け入れる=理解するではない母親が『自分の一部だから』と言った時から子供は苦しむ私は、あなたの一部ではない・・・お互いに未完成の個体同士お互いに伝え合い、時には、言葉で表現ができない苦しみを、隣でそのまま、そっと受け入れる苦しみをそのまま取り除いてやることは出来ないが、隣で一緒に涙する17Oct2018
人の良い所が見つけられる人と見つけられない人私は、人の良い所を見つけるのが得意だ。しかし、以前は全く見つけられなかった。嫌な所を見つけるのが得意だった。なぜこのように180度も変わったのか考えた。人の嫌な所を見つけるのが得意だった時は、自分に自信が無かった。何で自信がなかったかというと、ありのままの自分に×をつけていたからだ。”こうでないと” という枠ががっちりあり、そこから外れた自分を認めれていなかった。人の良い所を見つけるとは、その人を認めることになる。自分を認めれていないのに、他人を認めてしまうと、『自分』という人間が崩れてしまうことを、本能で感じていたのだろう。だから無意識に嫌な所を見つけて、他人を認めないサイクルを作り上げていた。『生きる為の本能』なのだろう。ありの...16Oct2018
『年配者を敬いましょう』と誰が言い始めたのか今日は、お風呂でこんなことが頭をよぎった。今では色々な人が、“植えつけられた知識”として使ってはいるが、その昔、誰か一人が言い出したことにより広まったはずだ。その最初に言った人がどんな人か、私は気になった。考えた結果、①『若者に尊敬されなかった年配者』もしくは、②『若者に尊敬されなかった年配者を見て不憫に思った誰か』のどちらかに辿り着いた。どうしてその結果に辿り着いたかというと、まず、これを言った者は、本人(年配者)か、本人以外かで考えた。そして本人だとすると、その者は『他人軸』で生きており、魂が未成熟な人だということが分かる。『自分軸』で生きている人間は、他人から“敬って欲しい”とは思わない。そして人生は『他人軸』→『自分軸』に移...16Oct2018
私の魂の叫び信じたい❗信じたい❗信じたい❗今週、私の心はぶれている何があろうとも、自分を信じて❗そう、魂が叫んでる自分の『持って生まれた才能』だけに、今は集中できてない色々なものが心の中に入り込んできて、私の魂を曇らせているのを感じる陰りのない、純粋な魂からの叫びを感じる泣き叫んで発狂しそうになってる魂をなだめながら、自分へ一生懸命言い聞かす大丈夫大丈夫大丈夫私は、私を信じるふと、気を緩めると泣き叫んで、発狂した魂に飲み込まれそうになる・・・・02Oct2018